断腸亭料理日記2014

浦里 その2

引き続き、浦里だが、、、。

池波先生の通っていた昭和ヒトケタ〜10数年の頃の
吉原、で、ある。
どんなふうであったのか。
これを考えている。

これが戦後となるとまた、イメージは実は、ある。

空襲で吉原も焼けて、いわゆる赤線という
ことになるのであろうが、吉原も再開し、
昭和32年の売春防止法施行によって(一応のところの)
幕を閉じるまで、10数年に渡って続いていた。

この売春防止法施行直前の吉原を描いた、映画「赤線地帯」
というのがある。(監督溝口健二 京マチ子、若尾文子他)


これを観るとその頃の吉原の雰囲気がよくわかる。

むろん花魁道中などあるわけもなく、女の子は
着物もいれば洋装もいる。
主人や女将(おかみ)のいる畳の部屋もあるようだが、
女の子の部屋は洋風。

元来は主人も女将さんも、遣り手婆(ばばあ)といわれた
おばさんも牛太郎といわれた呼び込みの若い衆も、
むろん花魁もほとんどは、店に住んでいた。

これは花魁は、足抜けなどといって、逃げ出す憂いが
あったからということもいえよう。

四方を鉄漿(おはぐろ)ドブと呼ばれる堀に囲まれ、
出入口は大門(おおもん)一か所で、江戸の頃は番屋があった。
(ただこれも、明治以降は大門以外にも出入口はたくさんあって
女の子も出入りは自由にできたという。)

この映画を観るとやっぱり、住んでいる者もあるが、
通ってきている者もある。

江戸の吉原からすれば、まさに隔世の感があるように思える。

戦前に池波先生が通っていた頃、というのは、
モボ、モガの大正時代を経ており、カフェーなどもあり
もしかすると、既に洋室で洋服のところもあった
のであろうか。

ちょっと余談めくが、元祖断腸亭、永井荷風先生などの
作品もこういったこと、時代考証のようなものには
大いに参考にはなる。(ex.「つゆのあとさき」永井荷風)

大正から戦前までというのは、吉原以外にも
男の遊ぶ場所はたくさんあった。

すぐに思い浮かぶのは、カフェーの女給さん。
あるいは、芸者さん。

カフェーであれば銀座などが上級の場所で、
数多くあったようであるし、新宿など、当時
新興の盛り場にも出来始めていたという。

芸者さんについていえば、江戸から連続している
ところというのは、意外かもしれぬが、
実際にはそう多くなく、明治以降に新たに
設けられたところがほとんどである。

挙げればきりばないが、柳橋、深川が江戸から続く
芸者町ということができるようで、その他、
明治以降は政財界の大立者に贔屓を得た新橋を筆頭に
芳町(人形町)、下谷(池之端、湯島天神下)、神楽坂、
などなど、、。

むろん場所によって格が違い、お値段も大きく違っていようが
お金さえ払えば吉原と同じ機能があったのは事実のようである。

また、やはり荷風先生だが、有名な「墨東奇譚」に登場する
向島玉ノ井のような私娼街というのか、半ば黙許のような
「銘酒屋」という営業許可の街も少なからず存在した。

さらに、この時代、深川、木場の南には洲崎(すさき)という、
明治以降の開設だが、吉原と同規模の官許の遊郭も存在していた。

その中で、吉原?!。

一本槍だったのか。
(荷風先生はどこへでも出掛けていたといってよさそうだが。)

池波先生はエッセイなどには吉原のこと以外には
ほとんど書かれていないと思われる。
(むろん実体験すべてを書いていない可能性はある。)

当時の荷風先生とはむろん池波先生は歳も違うし、
山手生まれと下町生まれという違いもある。

浅草聖天町生まれで同じく永住町で育たれたので、目と鼻の先、
やっぱり吉原だったのか。

先生の時代には既に江戸の吉原遊郭の
面影は消えていた、または消えかけていたのであろうが。

ただなんとなく、そんな気もするのである。

 

二日にも渡って与太話を書いてしまったようだが、
本題は、大根おろしに、梅肉やらかつぶしを入れた「浦里」で
あった。

さて。浦里の前に、大根おろしのこと。

浦里でなくとも、大根おろしというのは、
むろん飯のおかずにはなる。

考えてみると、大根おろしというのものも、
なかなかに不思議なものである。
日本人で食べない人というのも少ないのではなかろうか。

しらすおろし、納豆、なめこ、など、ちょいとした小鉢。

あるいは天ぷらの天つゆには欠かせないし、
蕎麦にとってもあの辛みは、重要な敵娼(あいかた)である。

みぞれ鍋などといって、鍋にもするし、
酢の物にもする。

焼いた餅にもしょうゆとおろしは、うまい。

煮物の大根のことを先日書いたが、おろしは同じ野菜とは思えぬほど、
まったく違う用途と味の世界を展開させている。

拙亭には、ほぼ梅きゅうとこの浦里のために、
チューブの梅肉を常備している。

大根をおろして混ぜるだけ。
おろしのみ、よりはちょいと気が利いている。

(もみ海苔を忘れてしまった。)

小鉢は先日のねぎま鍋で残ったまぐろのしょうゆ煮。

浦里、うまいものであるのだが、
最近思うのは、浦里のポイントは梅肉であるということ。
梅肉の塩気、味、これによって随分と変わってくる。

常備してあるものも残り少なくなってきた。
今度、ちょっとうまいものを探してみようか。

 

 


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