断腸亭料理日記2014

神田須田町・

あんこう鍋・いせ源 その1

12月6日(日)夜

さて。

日曜日。

今日は内儀(かみ)さんのリクエストで

あんこう鍋の[いせ源]へ行くことにした。

[いせ源]は神田須田町。

神田[藪蕎麦]やら同じく蕎麦の[まつや]、洋食の[松栄亭]
軍鶏鍋の[ぼたん]その他、戦災に焼け残った老舗が密集する
万世橋そばの一角にある。

(この界隈のこと、詳しくはこちらを。「池波正太郎と下町歩き」

やはりここは、一冬に一度は行きたい店ではある。


現役で使われている震災後の建物。
東京都指定歴史的建造物。

立派なもんである。

ただこれも昭和5年(1930年)のもので古いことは古いが、
100年は経っていない。

あたり前のことではあるが、東京というのは
400年以上の歴史のある都市である。
(まあ、その間、首都であったといってよろしかろう。)

むろん、千年の都、京都に比べればその歴史は
半分にも満たないが、世界的にも400年は
それなりのものではあろう。

しかし、例えば京都と比べてこの違いはなんであろうか。
400年の歴史とまでいわなくとも[いせ源]ほどの昔を
感じさせるもでさえ、眼を皿のようにして探さなければ
見当たらない。
(名所旧跡、神社仏閣などでも東京には歴史的建造物は
数えるほどしかない。)

いつもながらこのことに思い至る。

世界的に見てもこれほど歴史を大切にしない
都市は珍しいのではなかろうか。
パリやローマ、ロンドンその他、ヨーロッパの
都市というのは、いわゆる名所旧跡以外でも、
どこへ行っても古い町並みを残している。
一般市民の住宅に使われており、それなりの不便はあろうが、
現代の生活に合わせてリフォームをしても使い続けている。

まあ、その理由は我が国は木造建築で火事が多く、
長く残すという文化がそもそも江戸期からなかった。
明治以降は関東大震災、第二次大戦で焼野原になった
というような背景もあろう。

しかし、浅草の並木藪蕎麦の回にも書いたが、
例えば、江戸から続く老舗であってもビルにして、
エレベーターをつけてなんら違和感を感じない。
世界的に見て、明らかに自分達の歴史、
文化というものに対するなにかが
欠落しているといってよいと思われる。

東京に対して京都というのはまた好対照ではある。

彼らは明治以降も、ある程度それらを守る
という選択肢を選んだ。

結局のところ、この違いというのは、誇り、
ということなのではないだろうか。
揶揄されることも少なからずあるが、京都の人々は
千年の都として、大いに誇りを持っている。

ヨーロッパの人々もまた然(しか)り、で、あろう。
中世から続く田舎町の人々も、自分達の町に
誇りを持っている。
だから残っているし、ドイツなどがその例になろうが、
戦争で破壊されても、同じように復元している。
東京の人々には東京という都市の歴史、文化に
対して誇りがあるのか、といえば、これはやはり、ない、
といわざるを得ない。

なぜないのか。

まあ、これを考え始めると、毎度のことで
数回分に渡ってしまう。

今日は、あんこう鍋の[いせ源]のことを書かねばならないので
やめにするが、ただ、東京に生まれた方はもちろんだが、
そうでなくとも、住まわれたり、働いておられる方には、
地方から出てきているから私は関係ない、
といわずにやっぱり考えていただきたいと思うのである。

大切なことである。

富岡製糸場の世界遺産登録に喝采を送るのはよいが、
自分達が住み、あるいは働いている東京の歴史と文化も
たまには考えてほしいのである。
(できれば江戸から連続するものとして。)

そして誇りを持ってほしい。
あるいは誇りを持てる都市にしようではないか。

あまりにも今まで、私達はなおざりにしすぎた。
明治以降の東京生まれの人々、我々の親や祖父母にも
責任の一端あると思うが。

例えば、江戸落語も聞いてほしいし、
歌舞伎も観てほしいし、並木薮蕎麦にも行ってみてほしいし、、。
そしてこの神田須田町、あんこう鍋の[いせ源]もそう。

皆さんが少しずつ興味を持てば
もう少し東京も変わるのではないかと思うのである。

我が国の首都でありながらそこにいる人々は、
その都市の文化や歴史に、誇りはもとより、知らない、
興味もない、ではすまなかろう。

閑話休題。

[いせ源]の玄関脇にはいつものあんこう様。


硝子格子(がらすごうし)を開けて入ると、三和土(たたき)の玄関。

いい色に光ったつるつるの頭の、下足番の親父(おやじ)さん。
いせ源の半纏をひっかけて、草履を履いている。

私達は二人なので、予約はできぬので、ここで待つ。
(だが、空いているようなので、すぐの模様。)

待っている間に、今日は玄関をじっくりと観る。

天井がちょっとおもしろい。

これも格天井(ごうてんじょう)でよいのだろうか。

日本建築ではちょっと格の高い天井。
四角く桟(さん)で仕切って、絵などが描かれているあれ。

ここのものは、だいぶ色があせているが、
菊の絵に正宗、と書いてある。

つまり?、、そう「菊正宗」!。

以前に、かの下足番の親父さんに聞いたら、
さも聞くまでもないことと、教えられた。
今は文字で「菊正宗」と書くが、昔はこう描いたという。

その時は、菊正宗の酒樽でも利用したのか、とも思ったのだが
今日、まじまじと見て、考えを改めた。

これ、菊正宗の広告ではないのか、と。
今でも居酒屋の看板にはビールだったり、日本酒メーカーの
名前を入れてあったりするが、あれはメーカーが
多少お金を出して作ってあげているものであろう。

今もここの酒は菊正だが、宣伝を兼ねて菊正宗が
お金を出して天井を作ったのではないか、と。

まさか空き樽を天井材に使うなんて、ね。



つづく。




いせ源

 

 


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