断腸亭料理日記2014
さて。
今日は、歌舞伎の作者河竹黙阿弥の周辺について
最近考えていることを書いてみたい。
先月、国立劇場で観た黙阿弥作の「處女翫浮名横櫛
(むすめごのみうきなのよこぐし)」という芝居の
ことを書いた。
それ以来、いや、その前からずっとではあるが、
個人的には黙阿弥作品と黙阿弥という人そのものが
気になっていたのではある。
毎度書いている通り、私のホームグラウンドは
(池波正太郎信者でもあるが)歌舞伎ではなく、
落語、で、ある。
むろん、上方ではなく江戸落語である。
なぜ江戸落語かというと、それは取りも直さず、
私にとっては自分の生まれ育った東京の東京人、
さらには江戸人のルーツを探す作業ではある。
話せば長くなるのだが、もう一度このあたり、
なぜこんなことを考えているのか、その背景から
書いてみたい。
私自身は東京の練馬区、ある私鉄沿線で育ったが、
父方は今の品川区大井町の出身で、曾爺(ひいじい)さんまで
さかのぼると(この人あたりになると江戸生まれだが)
あのあたりの地主、まあ、名主くらいの家で、
お百姓といってよいのだろう。
同居していた爺さん婆さんはヒとシの区別が
なかったし、気の短い私の父親などは
怒ると早口の東京弁(江戸弁ではなかった
かもしれぬが)でまくし立てて、それはそれは
怖かった。
そんなことで自分のルーツというのか、
故郷(ふるさと)というのは、あまり品のよくない
東京、江戸、なのであろう、と、思って
育ったわけである。
だが、成人してみると、実際には
父や祖父母が醸し出していた東京的空気というものは
既に東京にはなくなっていた。
いうまでもなく、東京というところは
この国の首都で、変化が激しい。
ただ、それでも昭和30年代までは、特に
東京でも下町には、江戸があったと、
いわれている。
明治元年から100年で1968年。
子供の頃、明治百年なんというイベントを
やっていた記憶もあるが、百年くらいは
人にも、ものにも記憶が残るもののようである。
それが名実ともになくなったのが
東京オリンピックである。
これを契機に、東京の街は大改造がされ
同時に、江戸の気分を残していた人々も
次第に少なくなっていった、ということ。
私の生まれが1963年、昭和38年。
子供の頃はやはり、TVで落語の番組も
よくやっていたし、寄席中継もあった。
が、それも次第になくなり、成人した頃には
東京には江戸はすっかりなくなっていた。
気が付いた時には、故郷はなくなり、
大袈裟にいえば、東京にいるのに、
帰る場所がないという、ユダヤ人のような
感覚に見舞われたのであった。
こんなことを考えるようになったのは、ちょうど私が
20台後半。バブル崩壊の頃である。
毎度書いているが、その頃、池波正太郎という人は
そんな、東京からなくなっていく江戸を
鬼平や梅安の作品世界に再構築していった。
また、もう一つは、先年亡くなった立川談志という
落語家である。
当時既に孤軍奮闘して現代と戦っている、江戸落語の落語家。
この二人が私のとってはなくなってしまった、
故郷である江戸、東京への水先案内人に
なったわけである。
三〇を前にして、会社を辞めて本気で談志家元へ
本気で入門しようと考えたこともあった。
そこから20年ほど。
落語は自己流時代が2〜3年、談志師のお弟子の
志らく師に習ったのが5年ほどであったろうか、
前座程度の噺はできるようにはなった、とは思う。
(そこから先が、本当のプロの道であろう。)
三五才あたりから、この日記を書き始めた。
(お恥ずかしい話だが、池波先生の食いものエッセイの
真似を始めた、ということではある。)
サラリーマンをしながらそんなこともしている10数年。
今から数年前にNHK文化センターさんにお声をかけて
いただいて「池波正太郎と下町歩き」という
講座を二年ほどやらせていただく機会を得た。
この時の反省はいろいろあるのだが、一つは
私は歌舞伎というものをほとんど知らない
ということであった。
江戸、東京の文化を語ろうというのに、
観たことすらない、というのは、甚だ不勉強の
謗(そし)りを免れない。
談志家元は意識的に歌舞伎を避けていたが、
その影響ではある。
(池波先生は新国劇の作者出身であるし、
子供の頃から、芝居は大好きで通っておられた。)
「講座」から、ここ2〜3年、勉強だと思って
時間があれば、できるだけ歌舞伎を観るように
したのである。
すると、そこで出会ったのが、黙阿弥であった
ということである。
随分と長い前置きになってしまった。
知れば知るほど、黙阿弥という人と作品は
おもしろいし、よりわからないことが生まれてくる
のである。
と、同時に落語もその発祥の頃を多少調べてもみた。
意外にこれもあまり知られていないことである。
落語と歌舞伎というのは、そう多くはないが
同じストーリーのコンテンツを共有してもおり、
その大きな部分は時代的にも黙阿弥翁が活躍をしていた頃。
つまり、どちらも幕末。
文化文政から天保、安政、文久、そして
御一新まで。
どうもこのあたりの江戸。
これが黙阿弥であり、落語が生まれた江戸で
あったということなのである。
そして、それが取りも直さず、私が探していた
故郷であったように今は思っているのである。
つづく
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