断腸亭料理日記2013
11月26日(火)夜
人形町で6時前、仕事終了。
さて。
なにを食べよう、か。
人形町というところも、ご存知の通りうまいものが多い。
鮨やなら喜寿司、すき焼きなら、いわずとしれた今半に、日山。
料亭濱田家なんというのもある。
このあたりはむろん一人でふらっと入るような店ではない。
蕎麦なら浜町になるが、浜町藪。
昼は著名な親子丼、夜は軍鶏鍋の玉ひで。
洋食。
これは、私の好きな小春軒、芳味亭などなど、
たくさんある。
毎度書いているが、人形町というのは東京でも他にない
キャラクターを持ったところといってよい。
江戸の地図。
以前にNHK文化センターで『池波正太郎と下町歩き』という
街歩きの講座をやっていたのだがそのときに使った現代の地図。
江戸の地図と現代の地図を見比べていただいて、
大体おわかりになるであろうか。
今、人形町の甘酒横丁なんぞがあり、老舗飲食店などがあるあたりが
中心部といってよかろう。ただし、ここは江戸の頃は、武家屋敷である。
町屋は竃(へっつい)河岸という堀の北側。
左に境町、葺屋町という表記が見えると思うが、ここに
幕末近くの天保の頃、浅草へ移るまで、江戸初期から
歌舞伎の二座があった。
また、赤く囲ったが、吉原のあった場所。
もっとも、ここに吉原があったのは有名な明暦の大火までなので
江戸も初期の頃までといってよいだろう。
と、いうことで、今の人形町交差点より南、水天宮方向の
飲食店街は明治以降にこういった街になった、ということなのである。
明治以降、どうなったかというと、芸者さんのいるいわゆる花街。
江戸の頃には歌舞伎小屋があったり、元の吉原があったりと、江戸時代も早くからから盛り場で
もともと芸者を置く家や、陰間(かげま)という男色(だんしょく)の
茶屋などもあったのであるが、歌舞伎移転とともに一度さびれたという。
これらは、先に書いた、今の人形町交差点の北側。
明治になってから、武家屋敷がなくなり、南側が料亭、
待合、芸者置屋という、いわゆる三業地になっていったのである。
明治も早い18年に既に『新橋227名、柳橋120名に次いで、
芳町(よしちょう。人形町のこと)は既に、89名の芸妓数』になっている。
明治の地図
この明治の地図をご覧になるとお分かりになるが、
「東京米穀取引所」というのができている。
また、さらに西、日本橋川を渡れば、兜町、証券取引所できて、
相場師、株屋さんなんという人々がそばにいた、というのも
人形町という街の明治以後の発展というのか、街の
成り立ちに大きな役割を果たしたと思われる。
ただ、断腸亭荷風先生などの書かれているのを読むと、
新橋や柳橋が超一流の政財界人を相手にしていたのと
比べて、多少こちらは、お手軽。
また、私娼と芸者の区別も曖昧な、枕芸者なんという
言葉もあるが、そんなところであったようではある。
で、そういった明治大正の時代をすぎ戦前戦後、それでも現代まで
なんとなく、この街の雰囲気が他と違うのは、戦災で焼けなかった
というのが大きいのだろう。
10年、15年前なら人形町には、戦前、関東大震災後に建てられた、
太い木材を使った日本家屋がまだ随分と残っていたし、仮に
建て替えても、同じ場所で同じ商売を続け、同じ雰囲気が街に残った
ということではあろう。
値の張る老舗洋食やが多いというのも、そんなこの街の歴史が
関係していることはいうまでもなかろう。
そこで、今日は随分といっていなかった、キラクに
入ってみることにしたのである。
ここへ初めてきた、いや正確には、ここのビーフカツレツを
食べたのはまだ、20代の頃。
当時、食品パッケージの仕事をしており、この人形町交差点裏に
専門の撮影スタジオがあり、シズルなどといっていたが、パッケージに
使う料理写真を撮るのでお世話になっていた。
そこでお昼に出前を取ってもらって食べたのが最初。
随分とうまかった印象がある。
その後、まだ、先代のシブイお爺ちゃんが顕在で
なん度か通ってもいたのであった。
この有名人だったお爺ちゃんが引退され、しばらくは
引き継いだ方がやっていたのだと思うが、亡くなった
という話も聞き、長いこと足が遠のいていた。
6時頃、店に入ると、カウンターに4〜5人。
昔から変わっていないがカウンターだけの小さな店、
そこそこ繁盛しているよう。
やはり、ビーフカツ1,800円也を頼む。
料理をしているのは一人。
若そうな男性。
それから、女性が一人。
ビーフカツ。
薄めのカツが、濃いめの色に揚げられている。
以前に食べたのが随分前で、細かい味はよく覚えていないのだが、
これはこれで、うまい。
中の牛肉は半生に火が通され、うまみたっぷり。
マカロニサラダもうまい。
ご馳走様でした。
おいしかったです。
以前のページを探してみると、98年に行っていた。
これが最後だったのかもしれない。
ネットをみていると、代替わりでなにか揉め事があったらしく、
旧従業員の方々が、08年から近くで別の店をやっている
という。
食い物やの代替わりというのは、難しいもの、なのであろう。
特に、先代が有名人であっただけになおさらのこと。
その上に揉め事などあると、やはり客の足は遠のく。
この店の味は人形町の名物でもあったし、歴史でもあると
思われる。
是非、よい店を続けていただきたいと願いまた、
分かれた店には、今度いってみようか。
03-3666-6555
中央区日本橋人形町2-6-6
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