断腸亭料理日記2013
さて。
「仮名手本忠臣蔵」最終幕の『十一段目』。
言わずと知れた、討ち入り。
午前中の11時から、夜の9時近くまで、
観ていて、やっとたどり着いた、という感じである。
幕が開くと、暗い舞台に浅葱(あさぎ)幕。
雪を表現する、低いドン、ドン、ドン、という太鼓の音。
浅葱幕が切って落とされると、高師直の屋敷表門前。
雪景色。
TVでも討ち入りの場面は、必ずここがスタートである。
由良之助を真ん中に力弥、その他、浪士四十六名の面々。
あの、よく知っている袖にギザギザのある揃いの羽織、
襟にはそれぞれの名前が書かれている。
力弥は裏門隊を引き連れて、裏へ向かう。
由良之助は太鼓を鳴らす。
門の扉を大きな木槌で叩いて開ける。
まったく見慣れたシーン。
むろん、歌舞伎がオリジナルで、私は歌舞伎の
「忠臣蔵」は初見であるが、TVなどで視ている通りの画(え)で
あ〜、これこれ、という感じ。
まあ、これだけ日本人に馴染みの深い画というのも
少なかろう。
史実は雪は降っていなかったというし、
衣裳も揃いではなかったというが、やはり、
この姿でなければならない、というところまで
我々の脳裏には焼き付いている。
長い長い「忠臣蔵」の舞台で、討ち入りは、この幕開きから、
師直の首を落とすまで、すべて決まりきったものなので、
別段この幕がなくてもよさそうなものだが、
やっぱり、大団円、これがなければいけない。
これが観たいから、この芝居を観ている。
まったく、不思議なもの、で、ある。
立ち回りが始まる。
『奥庭泉水の場』
中央に池があり、太鼓橋が掛かっている。
これも実に見慣れたもの。
速い展開の立ち回り。
歌舞伎の立ち回りというのは、一度でも歌舞伎をご覧に
なったことがある方はご存知であろう、型通りのお約束で、
TV時代劇の立ち回りのような実際の立ち回りのように見える
殺陣(たて)ではない。
現代の我々は、実際の立ち回りに見えるリアルで工夫された魅せる
殺陣を見慣れている。
芝居によっては、このお約束の立ち回りを延々とやるものも
あるのだが、私のような歌舞伎トウシロウにはまったく退屈である。
この「忠臣蔵」『十一段目』の立ち回りは、
いつもの歌舞伎お得意の“お約束立ち回り”ではない。
特に、太鼓橋の上での立ち回りなど、見せ場なのであろう、
テンポも速く、TVや映画の殺陣に近いものになっている。
これは、明治以降、明確にはわからないが、
映画や新国劇などができた、大正、昭和に入ってから
歌舞伎の「忠臣蔵」が逆に影響されて
こういう殺陣風の立ち回りになってきたようである。
次が『炭部屋本懐の場』。
皆さん、ご存知のようになかなか師直は見つからない。
が、炭が仕舞われている小屋で見つかり、合図の笛が
吹かれる。
万延元年 江戸 中村座 『十一段目』 画 芳年
由良之助・師直 八代目片岡仁左衛門 力弥 二代目片岡 我当
由良之助他浪士全員が集まり、白い寝間着姿の高師直が
引き据えられ、首をはねられ、勝鬨を挙げて、大団円。
幕、で、ある。
長い長い「忠臣蔵」が終わった。
(歌舞伎では今日は演らなかった『九段目』というのも
人気の幕になっており、正月の歌舞伎座にかかる
ようではある。これも観なきゃ!。)
こうして歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」を通しで頭から
終わりまで、生で観たというのは、やはり、よかった。
むろん百聞は一見に如かず。
いかなる有名な古典作品でも観てからでなければ、
実際のことは語れない。
最も、印象的であったのは、やはり『四段目』、『腹切り』と
『城明け渡し』。
四段目がよいのは、芝居としてよいというのもあるが、
元々の大石内蔵助はじめ、赤穂浪士達のなした
元禄赤穂事件そのものが、現代の我々に至っても
感動させるものがあるからなのであろう。
ただ、その原典がこの「仮名手本忠臣蔵」で、
その後の映画や時代劇も、すべてここに基本的なものは、
ほぼ表現されていたということである。
また「忠臣蔵」を歌舞伎史というのか、文化史的な時代背景の
ようなものから見てみると、生まれたのは江戸中期で、
ほぼ田沼時代。江戸は蔵前の札差などが幅を利かせ、好景気に
わいていた頃である。
この『四段目』の由良之助などは、歌舞伎の世界では
立役(男役)の役の系統として、荒事、和事などと並んで、
人間の葛藤を描く、実事(じつごと)というそうである。
江戸歌舞伎が初期の荒々しい荒事から始まり、時代を経て
人間の生の姿を描き始めたと、いってもよいのかもしれない。
そして、この実事は、その後文化文政の鶴屋南北、
幕末の河竹黙阿弥の表現した世話物につながる中間的なものとして、
位置付けてもよいように思われる。
それから、ぐずぐずと書いたが『五・六段目』はちょいと、問題あり。
外国人の観客も少なからず見かけたが『五・六段目』は
現代日本人である我々がわからないのだから、
なかなか理解はしてもらえないのではなかろうか。
『四段目』の由良之助は確かに人間の生の姿を描いている
と思われるが、それにしてはこの『五・六段目』の勘平は
まだまだそこまでに至っていない近世的なものである。
これは、江戸中期当時の古典作品、つまり、こういうもの、
として理解すべきもの、なのかもしれない。
また、私にとっての収穫はやはり『五段目』だが斧定九郎。
これは、江戸的な美意識、粋、といってよく、「助六」と並んで
この頃、成立・流行しその後のやはり、文化文政の江戸文化
花盛りへのベースになっていると位置付けられるのであろう。
脚本自体は上方生まれの文楽であるが、江戸歌舞伎、江戸文化を
理解する上でメルクマールになる重要な作品といっても
よいのかもしれない。
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