断腸亭料理日記2013

吉例顔見世大歌舞伎・
通し狂言 仮名手本忠臣蔵 その3

引き続き歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」。
昨日は、四段目"腹切"まで。

四段目は、まだ続く。
判官の亡骸は寺へ送るため、駕籠に乗せられる。

白無垢姿の奥方らが登場し、家来含めて焼香、お別れ。

由良之助ともう一人の家老の斧九太夫以外の主だった者は、駕籠に従って寺へ。

残った者らでこれからどうするか、評定となる。

これまでも重要だが、ここからが由良之助の見せ場。

仇討ちなどさらさらやる気がない、斧九太夫や、逆に血気にはやる若侍達を
上手くさばくのが、由良之助。

実は、吉右衛門、四段目の由良之助は今回が初役という。
吉右衛門自身、事前のインタビューでも語っていたが、なかなかやはり
むずかしいようである。
吉右衛門の父、祖父と得意にしてきた役で、吉右衛門自身も演りたいし、
また、演らねばならない役という。
今回、仁左衛門休演による代役だが、チャンスとも語っていた。

ただ、やはり四月のこけら落としからの疲れで体調は万全ではない。
だが「僕が頑張らなきゃ」とも語っていた。

今日は、台詞がもう一つこなれていなかったのか。
スラスラと若侍や九太夫をさばくべきところ、観ていて多少、
心配になってしまうところもあった。

吉右衛門自身の言葉でも、由良之助は「底を見せてはいけない」という。

全編そうだろうが、TVの時代劇を視ていても特にこの場面は内蔵助の
挙動が特に重要である。少し前のNHK大河で亡き勘三郎の演じた
内蔵助を思い出す。
仇討を正面からは口にできないポーカーフェイスをしながら、
血気にはやる者達を押さえ、かつ、本心も見せ、その上、裏切者にも
しかるべき対処をする、という、顔を三つも四つも持ち、部下たちをまとめ
来たるべき仇討に向けて引っ張っていくまさにスタートラインである。

(勘三郎はここの由良之助は演っているのであろうか。
ちなみに、来月は幸四郎だが、この人はなん度もやっているよう。
吉右衛門、幸四郎で分けていたのかもしれない。)

むろん、人(にん)としても、役者としての技量も吉右衛門は
十二分であろう。たいへんであろうが、吉右衛門先生には
自家薬籠中のものとしてもらえるものと確信している。

さて、城明け渡し。

由良之助が門から出てくると、今度は葬送へ行った家来たちが戻ってきて、
城を枕に討死だ!、と、いきり立つ。
今度、花道に一列に並ぶ家来たちを由良之助は説得。
皆を帰し、一人、門の前で、形見の血に染まった九寸五分をもう一度出し、
心に誓う思い入れ。

やがて、すべてを終え、由良之助は一人門をにする。

ここでちょっとした仕掛けがある。

由良之助の歩みとともに、門と塀を描いた背景の書き割りが、
段々に後ろへ下がって小さくなっていく、という演出。

先祖から住み慣れた城を捨てざるを得ない寂しさ。
由良之助の心象を描き出す。

やがて由良之助は一人、花道の七三にかかり、城に向かって膝をつき、
両手をつく。懐紙で涙をぬぐい、力なく立ち上がる。

幕はいつの間にか閉まっている。

幕外に、一人の三味線が出てきて立ったまま、曲を奏でる。

これ“送り三重”というらしいが、太い音の義太夫ではなく、
江戸の長唄らしい。
私など、残念ながら長唄も清元も聞き分けられぬが、これは実に
しんみりとし、また“江戸”らしい。まさに、粋、で、あろう。

基本、上方風味の義太夫が奏でられていた舞台で、ポーンと江戸に。

また、武張った武家の話から、これも、ポーンと、しんみりした
“町人”風味の粋な三味線。

この二つの転換。

多少の違和感もあったのだが、おそらく江戸でそれも、後になってから
付けられた演出、なのであろうと、推測する。

こういう、江戸っぽい、町人っぽいものを、城を追われた
由良之助につけるのが、観客の心象に合っていたということ
なのであろう。

また、これは転換の妙というのか、作品としても幅が広がり、
おもしろ味は増しているように思う。

仮名手本忠臣蔵・四段目 明治3年 東京中村・市村座
由良之助 七代目河原崎権之助 画 国周

腹切りを中心に城明け渡しまでの、この「忠臣蔵」四段目、
やはり、大名作といってよろしかろう。

日本人であれば、皆知っている話であるし、心情としても大いに
ピッタリくる。それは、数百年たった、現代においてもおそらく
変わっていないのであろうと、今回生で観て、実感した。

また、映画、TVでなん度もなん度も、繰り返し作られてきたが、
やはり、この「仮名手本忠臣蔵」が原点である、ということ。

現代においての討ち入りの解釈は、単なる主君の恨みを晴らす
仇討ではなく、喧嘩両成敗をしなかった幕府の裁定に対する、
身を捨てての抗議であるというのが大方のものであろう。

つまり、発端は別にせざるを得ないが、その後の判官切腹の場での、
由良之助とのやりとり。そして、その後の由良之助の捌き方。
ここがやはり、時代を超えて、我々にも感動を与える。

それらを十二分に表現している作品。

初演からまあ、明治あたりまで、200年くらいの間であろうか、
多くの作者や役者達、そして観客によって磨かれて、磨かれて、
出来上がっている。

「忠臣蔵・四段目」偉大な作品であり、わが日本文化の宝と
いっても過言ではないと思われる。







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