断腸亭料理日記2013

大阪・船場・淡路町・吉野すし

3月15日(金)夜

午後から、大阪出張。

17時半、淀屋橋付近で仕事終了。

さて。

どうしようか。

と、いっても、今日は決めていた。
真っ直ぐとんぼ返りする方が多いのだが、
金曜だし、飯を食っていこう。

どこかというと、昨年12月にいった、淡路町の
[吉野すし]

この時は、取引先との会食であったのだが
気に入ったところには、身銭を切って
こなければいけなかろう、と思い立った。


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さて。

江戸の地図。


いつもは江戸時代の江戸の地図だが、
今日は大坂の古地図を手に入れてみた。

幕末近い頃の大阪船場である。

北から、土佐堀(大川)、東横堀川(東掘)、長堀川、
西横堀川(西堀)に囲まれているのが船場。

大坂の地図は初めて。

淀屋橋筋と書かれているのを発見できた。
これが御堂筋なのか。

御堂筋の名前は、通沿いに東西の本願寺があるから。
(大阪の方には常識なのであろうが、恥ずかしながら
知らなかった。)

細かく町名を見てみると、現代に残っているものとは
違うものも見えるが[吉野すし]のある淡路町、
その一本北の平野町。南側は、瓦町、備後町、安土町、
本町などなど、今も同じ名前である。

南北の筋は[吉野すし]があるのが心斎橋筋。
これもこの地図に見える。

この他にも堺筋、難波橋筋、中橋筋、
栴檀木橋(せんだんのきばし)筋、丼池(どぶいけ)筋
などなど、基本的に名前は変わっていないよう。

町名も同様。

余談だが、このあたりは、東京と比べてしまう。

東京の中央区、千代田区、港区、台東区その他、
江戸から町であったところで、江戸の町名、地名
通りの名前が残っているところは、ほんのわずか
しかない。

京都などもむろん、昔からの地名を明確な意図をもって
残している。

なぜ東京だけが、と思わずにはおれない。
首都だから、効率だけを追い求められたのか。
そして、反対する者も少なかったのか。

閑話休題。

大阪船場のことであった。

5時半すぎ[吉野すし]に入る。
一階は、持ち帰りのものを売る売り場がある。

そこの白髪の方。刈上げた髪をきっちり七三に分けて、
ご主人であろうか、

「予約してないんですが一人、入れますか」

と聞いてみる。

予約が入っているのであろうか。
ちょっと、考えている様子。

柔らかい物腰で、

「お寿司を召し上がりますか。

お寿司だけなら、どうぞ」と。

夜は懐石というのか、コースの料理を
出すのであろう。

エレベーターで二階へ上がる。

さすがにこの時間、まだお客はいない。

奥に、白木のきれいなカウンター席があり
“予約”の札が置かれている。

テーブル席に座り、ビールをもらう。
頼んだのは、前回食べた大阪すしとにぎりすしのセット。
(3000円ちょい)

大阪すし


上の四つが、箱寿司。
左から、鯛、穴子、海老と玉子、鯖。

下、左が玉子がのっているが、穴子の蒸し寿司。
右が鯖の棒寿司。

うまい上に、彩りもよい。

後からになったが、お通しであったのか、
ほたるいかが出た。


にぎりすし。


ビール一本で、お茶にする。

一人でもあるし、なんとなく、急いで食べてしまった。

ご馳走様でした、と、席を立つ。

預けていたコートをお姐さんにもらい、
エレベーターで一階に降りる。

「ご馳走様でした」

と、ご主人にいうと。

にこっとわらって

「えろう、早うおましたな」

柔らかい大阪弁。

(なんだ、ゆっくり食べてよかったのか。)

船場の旦那、という感じであろうか。

よいもんである。





大阪船場吉野すし




   


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