断腸亭料理日記2013
前回に引き続き今日も、フィクションのつづき。
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「見てごらん。汚れてはいるが、形そのものはきれいなもんじゃ」
「そうか。なるほど、そういえばそうですよね。
筧さんもいい加減なもんですね」
「まあ、奴さんもまだ若いしな」
と、緒方のご隠居。
「火葬場から盗んできたんじゃないとすると、またふり出しに戻ったというこ
とになりますね」
「そうじゃな。どこかかから流れてきた、土左衛門の骨ではどうもなさそうだ
ということはわかった。それから、無縁仏が火葬された骨でもない、と」
「出どころ不明な髑髏が二つ」
「それも、どうもどこの誰かはわからないが、なにかのためにわざと置いた」
「いや、ご住職。よくわかりました。かたじけのうござった」
「いやなに。役人ももう少し、しっかりしてもらわねばならんのう。
しかし、三度目もあるという話も聞いておる。拙僧の方へはなんらご遠慮
には及ばんでな。忠兵衛さん」
「はい、はい。重ね重ね、ありがとうございます。もうご住職のおかげで助
かっております。今後ともどうぞよしなに」
忠兵衛はいくばくかのお布施を淨善へ手渡し、皆揃って、寺を出る。
寺の門前で、
「じゃあ、手前はこの後寄席もありますので、ここで」
「はい。柳治さんにも、緒方の叔父様にもご迷惑をおかけして」
「いえ、いえご主人。困った時はお互い様でござんすよ。緒方のご隠居は
お隣さんですし」
「そうじゃよ。まあ、わたしなどたいした知恵も出ぬが、かわいい姪の
お玉のためじゃ。 のう、忠兵衛さん。それに、お話をした通り、この柳治
さんの兄上は、北町の与力を務めておられるしの。頼りない同心などより
よっぽど心強い」
「はい。なに分よろしくお願い申します。」
忠兵衛とわかれ、吾妻橋を渡り、柳治は昼席を務めるために東橋亭へ。
緒方のご隠居は門跡裏へ帰っていった。
九
今日の柳治の演目は『天災』。柳派ではお得意の噺である。喧嘩ばかりして
いる八五郎が大家に諭されて心学の先生のところへいく。様々なたとえ話で
説教をされて、妙に納得して長屋へ帰ってくる。長屋では熊公が夫婦喧嘩を
しており、これを先ほど諭された通りにやろうとするが、めちゃくちゃになる。
いわゆる“おうむ返し”と呼ばれる噺である。
こういう噺というのは、くすぐり、といわれる現代でいうギャグも豊富で、
一見笑いがとりやすそうなのだが、意外に難しい。むろんお客は、ほとんどが
なん度も同じ噺を聞いているわけである。そして構成として単純にできている分、
演者の技量が問われる。このため、こういう噺で笑いを取れれば、噺家とす
ればしてやったり、ということになる。
『天災』はそこそこ得意としている噺で、今日のできもまあまあ。高座を
降りてくるとお駒が
「お疲れ様ですぅ〜」
二人の後輩前座も
「お疲れ様っす」
一つ下の鯉橋が
「さすが、兄(あに)さん、お得意ですね」
「馬鹿野郎、誉めたって、なんにもでねえよ」
座って、お茶を一口。一服つける。
と、そこへ、楽屋の木戸を叩く音。
一番下の柳吉が出ると、顔だけ戸口から楽屋に入れた一人の中年の武士。
「お、柳治」
と、声をかける。
「兄さん、お客さんですよ」
柳治を贔屓にしてくれているお客の一人で、名前を井川三郎兵衛といい、
尾張藩に仕えている。
柳治が慌てて立っていくと、
「少し、付き合わぬか」
「あ、はいはい」
ご贔屓が付き合え、といえば、一杯いただけてご祝儀という、芸人に
とってはまったくありがたいことになる。
柳治は前座の柳吉に
「師匠によろしくな。井川様にお付き合いと」
「は〜い。いってらっしゃいぃ〜」
「『居酒屋』の小僧みてぇな声を出すなぃ」
「これも稽古ですよ」
「は、は」
笑いながら、高座用の羽織を引っ掛けて、楽屋を出る。
どの藩でもそうなのだが、江戸留守居役という役職がある。これは藩の代表
として各方面から情報収集する役割。幕府の顔色は常に見なくてはならないし、
そのために他藩の同様の役職のものと会って、互いに情報交換をする。ある
いは、幕閣の情報を得るために旗本などとの付き合いもする。御三家である
尾張藩は留守居役とはいわず、城付と呼ばれ、他家とは格が違っている。
また、当然のこと、一人ではなく、井川は次席補佐、というような地位で、
噺を寄席に聞きにくるくらいであるから、江戸生まれ、江戸育ち、さばけた人
柄でこうして気さくに芸人と付き合いもする。
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