断腸亭料理日記2013
三回目になってしまったが『山崎屋』の
『よかちょろ』まできた。
『山崎屋』の本編。
昨日も書いたが、この噺、なかなかおもしろい。
お。
そうであった、本編の前に、雲助師は演っていなかったが、
大旦那と若旦那の会話でおもしろいところがある。
(談志家元はこれを入れる。)
息「お父っつぁんはなんにもわかってないんですよ」
父「なにを言ってるんだ。私はねえ、お前のような若造が考えている
ことなんぞ手に取るようにわかってるんだよ」
息「いやいや、お父っつぁんがわかってる、っていっていること自体がね、
そもそもわかってないって証拠なんですよ。
手前はね、お父っつぁんがわかってないってことがわかってるんですよ。
そういうわかってる手前をつかまえて、わかってないっていってる
お父っつぁんはわかってないんですよ」
「あのねぇ、いいかい、私はねえ、お前なんぞにはわかんないだろうがね、
全部わかってるんだよ、ね。、、、」
おわかりになろうあろうか。(わかってる?)
これがもう少し続く。これおもしろいので、自分で演ってみたのだが難しい。
言っているうちに、自分でもなにを言っているのか、わからなくなる。
おそらくアドリブではできない。きちんと覚え込んで演じなければ
できない芸であろう。
さて。
ようやく本編。
おもしろいので、あらすじもまじえる。
若旦那は吉原の花魁にぞっこん。
三日にあげず、顔を見たい。
これでは、金はいくらあっても足りない。
そこで、番頭に店の金をまわせ、と言い出す。
番頭は、むろん、断る。
この断るところがまた、よい。
店の金は
番「大旦那のもの、いや、もっといえば、大旦那のものでもなく、
お店のものです。それをまわせとは何事ですか」
若「なにをいってるんだ、お前だって一度や二度じゃないんだろ」
番「じょ、冗談じゃありません。私がお店の金を?
私は十二の年からご当家にご奉公に上がりました。
それ以来、勤めてまいりましたが、一点たりとも後ろ暗いところはない
男でございます」
若「ほう。堅いんだね」
番「はい。私は、堅いんです。石橋の上で転べば、石橋の方が痛い、というくらい
堅いんです。
そ、そんな店を金をまわせなんて」
若「そんな、野暮な」
番「(大きな声で)あ〜、野暮ですとも。商人(あきんど)屋の番頭は野暮でも
勤まるんです」
若「そんな大きな声を、、」
番「大きな声は地声です。まだいくらでも競り上がる。」
で、ここから若旦那の逆襲。
とある日、若旦那は町内の湯屋が休みで隣町まで出掛ける。
出てくると、粋な年増が同時に出てきた。あれ?、と思って若旦那も
暇なので、ついて行ってみた。
粋なご神灯が下がった、清元のお師匠さん。近所のお喋りそうなお内儀(かみ)
さんに聞いてみると、横山町の山崎屋さんの番頭さんのお囲いもの、と。
番「いや、お前さんじゃない。
ね。お前さんは、堅いんだ。ね。石橋で転んだら石橋が痛いという」
で、少しあと。昼、番頭が一人、共(とも)も連れずに
下駄を突っかけて出掛けて行った。
あれ?、と思って、若旦那は後をつけた。
と、くだんのご神灯の家に入っていく。
若「格子戸が少し開いていたんだね、番頭さん。気をつけなきゃいけないよ。
こそ泥が下駄でも持ってっちゃう。
まあ、そこにはね、下駄がぬいであって、焼印が押してある。
山の印だ。これ、うちのだよね。
そこで、私が上がり込んで、『番頭さん、おたのしみ!』って、言っちゃえば
私も、ただの奴(やっこ)になっちゃう。で、いままで口を拭(ぬぐ)って
たって、話なんだ」
そろそろ、っと、番頭逃げ出そうとする
若「おいおい、番頭さん。ち、ちょっとお待ちなさいよ。
ね、番頭さん。番頭のお給金であんな女を囲えるものかどうか、ねえ?」
番「いや、そ、そんな、堅いこと」
若「はい。私は、堅いんです。石橋の上で転べば、石橋の方が痛い、というくらい
堅いんです」
番「そんな、野暮な」
若「(大きな声で)あ〜、野暮ですとも。商人(あきんど)屋の息子は野暮でも
勤まるんです」
番「そんな大きな声を、、」
若「大きな声は地声です。まだいくらでも競り上がる。
(さらに大きな声で)おとっつぁーん、番頭のお給金で、女を囲える、、、」
番「わ、わ、わかりましたよ。わかりました。
でもね、あなた、こうやって、いつまでもあたしを強請(ゆす)るんでしょ。
それじゃあ、私もたまらない」
で、番頭は一計を案じる。
若旦那の通っている花魁も惚れているんなら、夫婦にしてあげる、と。
吉原の花魁を堅い商人(あきんど)の家に入れるなんて、とてもじゃないが
普通はできないが、親類に掛け合って身請けの金を番頭は工面する。
これで身請けをして、一先ずは町内の鳶頭(かしら)の家に入れる。
鳶頭の家で、家事一通り、花嫁修業をきっちり教える。数か月後、番頭が
大旦那に頼んで、若旦那に掛け取りをいってもらう。若旦那はその金を鳶頭の
家に預ける。若旦那は店に戻り、落とした、という。と、そこへ、今そこで
拾ったといって鳶頭が落とした金を届ける。(落としたのは問題だが、これで、
若旦那ももう使い込まないという印象をつけさせる。)
大きな額なので、鳶頭の家に大旦那にお礼にいってもらう。この時、花魁に
お茶を出させ、これは鳶頭のお内儀さんの娘、お屋敷奉公をしていて、
今は花嫁修業中。持参金が五百両と鳶頭に言わせる。
大旦那はケチだから是非、息子の嫁にという。
これを実際に実行し、トントンとうまく話がまとまって、若旦那は花魁と
夫婦になれて、めでたしめでたし。
ここは、この噺の主としたストーリー部分になるのだが、なかなか
よくできている。
下げは、大旦那と元花魁の嫁の会話で、こんな感じ。
旦「ところで、お前のお勤めしていた、お屋敷はどこだい?」
嫁「あの、わちき……わたくし、北国(ほっこく)ざます」
旦「北国ってえと、加賀様かい? さだめしお女中も大勢いるだろうね」
嫁「三千人でざます」
旦「へえ、恐れいったね。それで、参勤交代のときは道中するのかい?」
嫁「道中はするんざます。夕方から出まして、武蔵屋ィ行って、伊勢から、
大和の、長門の、長崎の」
旦「ちょいちょい、ちょいとお待ちよ。一日にそんなに歩くのは大変だ。
はぁ〜、お前にゃ、なにか憑きものがしているな。諸国を歩くのが六十六部。
足の早いのが天狗だ。おまえには、六部に天狗が憑いたな」
嫁「いいえ。三分で新造が付きんした」
古風なもので現代ではわかりずらくなっている。
雲助師は枕で説明をされていたが、それでも、わからなかった人も
いるかもしれない。
北国は北郭のことで、吉原のこと。
「武蔵の、、」は吉原の妓楼(店)の名前で、花魁道中で妓楼を回る。
六十六部は、全国をまわる巡礼。新造というのは、若い女郎のことで、
上位の花魁の座敷には新造が出るのだがこの費用が三分であった。
言葉と、吉原の仕組みだったり、知らないと腹に落ちない。
マニア度の高い下げ、ということになるのであろう。
では、よい下げか、わるい下げかという意味ではどうだろうか。
下げ自体は古風できれいなのだが、
この下げの部分だけ、全体のストーリーとは別れており、
いかにも取って付けた感が強い。
嫁入りをして、めでたしめでたし、で、下げなしで
終わっても別段かまわないような気もする。
だげ、例えば、全体を通すと、番頭、若旦那の二人組の話で、
この二人が今回のたくらみをふり返って、下げ、
が理想的なのであろう。
さて。
「五街道雲助/蔵出し・浅草見番」というタイトルながら
作品案内のようなものになってしまった。
雲助師、確かに地味ではあるが、やはりこういう昔通りを
きちっと演る人が現代の東京落語界には必要であろう。
雲助師、江戸落語の良心のような、そんな存在なのかもしれない。
(他にもこういう人はいるんだろうな。)
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