断腸亭料理日記2013
さて。
引き続き、團十郎のこと。
市川團十郎家=歌舞伎十八番についてみてきている。
参考書から、團十郎家の芸といえば、
1.隈取(くまどり)、2.誇張した衣装、3.見得(みえ)や
荒々しい足拍子に代表される独特の演技術、4.勇壮なセリフと
雄弁術 の、三つという。
1.2.は見た通り。
3.の見得は神仏を表現していたというところまで考えた。
4.のセリフのこと。
私なりに言い換えてみると、特徴的な長ゼリフということに
なろうか。これには個人的な興味もあって、
ちょっと細かくみてみたい。
十二代目が亡くなって、生前の舞台の映像が
盛んに流されていたが、中でも多かったのは、
『外郎売(ういろううり)』。
ご覧になられた方も多かろう。
TVの説明では、上演が絶えていたものを、
十二代目が復活させたものということ。
(私は残念ながら生で観たことはないが。)
『外郎売』は、物売りの口上。
私も高校時代、放送部に所属していたので
練習をしたことがあるのだが、アナウンサーや、
役者を目指す人にはお馴染み。
『拙者、親方と申すは、お立合いの中にご存知の方もご座りましょうが
お江戸を立って二十里上方、相州小田原一色町をおすぎなされて
青物町を上りへおいでなさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門(らんかんばし
とらやとうえもん)、只今は剃髪いたして、円斉と名乗りまする、、、
(冒頭のこの部分は、今でもそらで言える。)
中略
、、、武具馬具ぶぐばぐ、三ぶぐばぐ、合わせて武具馬具、六武具馬具。
菊栗きくくり、三菊栗、合わせて菊栗、六菊栗。麦、塵(ごみ)、
むぎごみ、三むぎごみ、合わせてむぎごみ、六むぎごみ。
あの長押(なげし)の長薙刀は誰が長押の長薙刀ぞ。
向こうの胡麻がらは荏のごまがらか真ごまがらか、
あれこそほんの真胡麻殻(まごまがら)。、、、後省略』
歌舞伎十八番の團十郎のセリフには様々なものが
あるようだが、ここで、またまた、参考書の登場。
初代團十郎の頃の芝居までさかのぼると、長ゼリフは、
やはり、見得やにらみと同じように、厄払い、を
舞台化したものということである。
(『鳴神』がその例のよう。)
落語にもそのまま『厄払い』というのがある。
これは節分(大晦日)に各家々をまわって、厄払いの
口上を述べ祝儀をもらう、芸人というのか、宗教者というのか、が
あった。(民俗学でいうところの門付け。)
この風景を、厄払いの口上とともに、落語にしたもの。
宗教的な口上を芸とすることはティピカルなこと
といってよいのだろう。
宗教的な口上というのは、単なる長い早口言葉とは違って、
お経などもまあ、早く言えばそういうもののような気がするが、
知っているものであれば聞いた方は、有難いもの、と思いまた、
拍手を送る対象になるのあろう。
さて、歌舞伎十八番のなかで、最も有名な長ゼリフというと、
なんであろうか。
やはり『勧進帳』であろう。
(1852年(嘉永5年)五代目市川海老蔵(七代目團十郎)
江戸河原崎座 豊国 勧進帳 弁慶)
『勧進帳』の勧進帳そのものを、弁慶が空で唱える、
というあれ。
勧進帳はこんな感じ、
「大恩教主の秋の月は、涅槃の雲にかくれ、生死長夜の永き夢、
驚かすべき人もなし、、、」
『勧進帳』は歌舞伎十八番の中でも最も多く上演されているので
さすがの私もなん度か観ている。
これはどう理解したらよいのか。
今、生の芝居を観て、聴いても、ご通家の方以外は、まあおそらく
理解できないであろう。
このため、現代的には、もはやほとんど演劇的な意味はないと
いってよいよう思う。
では江戸の頃、特に初演された頃はどうであったのか。
想像ではあるが、当時であれば、寄進を求めながら、
遊行する宗教者、落語にも出てくるが、巡礼、六十六部、
願人坊主などや、あるいは山伏というようなもの、
こうした宗教者は、身近に現れるものであった。
おそらくある程度は理解できたもの
だったのではなかろうか。
そういう意味では、最初の厄払いのような
宗教的な、有難い口上、といってもよいのだろう。
もう一つ。
私が観た(聴いた)ことのある、歌舞伎十八番の長ゼリフ。
それは『助六』。
歌舞伎十八番の中でも現代でも『勧進帳』の次いで、
上演回数が多いもの。
正しくは『助六所縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』。
(1819年(文政2年)七代目團十郎 江戸玉川座 国安
助六由縁江戸桜 揚巻の助六)
(海苔巻と稲荷寿司のセットを助六というが、これがもと、
で、ある。揚巻というのは助六の敵方(あいかた)の花魁だが、
揚巻→揚げ、と、巻、で、ある。)
私も、時たま洒落に使うが「先祖の助六に申し訳が立たない」
という言葉がある。(江戸っ子の名折れだというような意味。)
助六とは、江戸っ子を代表するキャラクター、ということに
なっていた。
ここで『助六』の筋を書いても長くなるだけなので、
助六の長ゼリフだけをちょっと、書いてみる。
舞台は江戸、吉原。
「この五丁町へ脛へ踏ん込む野郎めらは、俺が名を聞いておけ。
まず第一におこりが落ちる。まだよいことがある。大門をずっと
くぐると、俺が名を手のひらへ三べん書いてなめろ。一生女郎に
ふられることがねえ。
見かけは小さな野郎だが、肝が大きい。遠くは八王子の炭焼き婆、
田圃の歯っ欠け爺(じじい)、近くは山谷の古やり手、梅干し婆に
至るまで、茶飲み話の喧嘩沙汰。男伊達の無尽の掛け捨て。
ついに引けを取ったことのねえ男だ。、、、」
名乗りのセリフといって、聞いて驚くな、俺はなぁ、、
と自己紹介を、こけおどしというのか、誇張も含めて、
これから喧嘩をしようという時にいうセリフ。
声に出して読んでいただきたいが、
やはりちょっと、物売りの口上に似ている。
例えば、「まだある」なんというところ。
言葉の並べ方、形式とすれば、そちらに近かろう。
こうなってくると、最初の厄払いのような、
宗教的な意味はもはや、完全にない。
そしてさらに、成立とすれば『助六』の後になるのだろうが、
黙阿弥になると
「がきの頃から、手癖が悪く、抜け参(めい)りから
ぐれだして、、、」『白波五人男』
という、名乗りのセリフも、七五調になっていく。
つまり、見せ場としての長ゼリフ、もはや、市川家の
専売特許ではなくなり、歌舞伎全体で共有される
形式になっていったといえるのであろう。
長くなった。
今日はここまで。
あしたもつづけよう。
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