断腸亭料理日記2013

ISHIGAKI4.GIF - 14,031BYTES断腸亭の夏休み・

沖縄石垣島その9


さて。

断腸亭の夏休み、石垣島、残りわずかになってきた。

四日目の夕飯。

またまた、島料理のアラカルト。

酒は内儀(かみ)さんはビールだが、今日は、私は泡盛ハイボール。

まずは、豆腐蓉(とうふよう)。

これも最近は東京でも食べられるようになってきている。

島豆腐を泡盛と麹で醗酵させたもの。
赤みがあるのは、紅麹という赤い麹が使われているという。

チーズのような感じもするのだが、においは材料が植物性の
豆腐なので、さほど強くない。
米麹だからか甘味もある。

もっとにおいが強が、中国の腐乳(ふうるう)と
同系の食品といってよいのであろう。

次は海葡萄の酢の物。


付け合わせでも出ていたが、そのものも頼んでみた。

海葡萄というのは、知ってはいたが、正直のことをいうと、
見た目で敬遠していたのだが、食べてみるとこの食感が
クセになり、とまらなくなる。特に酢の物はうまい。

養殖もされていると聞く。保存がむずかしいとも聞くが、
東京にももっと入ってきてほしいものである。

刺身盛り合わせ。


左から、赤いか、ミーパイ(はた)、まぐろ、
イラブチャー(アオブダイ)。

ミーパイとイラブチャーはもうお馴染み。

まぐろもやはりこちらでも揚がるのであろう。
これもやはり冷凍などではなく生のようで、赤身だが、うまい。

で、赤いか。

いかの名前というのは、まったくわかりずらい。
赤いかというのも地域によって違うものを指していることがある。

これも地のものであろう。
こちらで盛んに獲れるのは、実際の名前はソデイカというそうで、
大型で肉厚。(こちらの呼び名はせーいかだそう。)

この刺身も分厚い。

島豆腐の揚げ出し。


島豆腐というのはむろん沖縄の豆腐のことだが、
大きな特徴は水分が少なく、硬いということ。

そもそも製法も違うらしい。

なんでも、豆乳を加熱してから、おからを濾すのが普通なのだが、
島豆腐は加熱する前に濾すという。
その後、にがりを入れて型に入れ、重しをして押し固める。
ここは同じなのだが、水の抜き方が沖縄の方が強いのであろう。

最初の部分の違いが出来上がりにどう影響しているのか
よくわからないが、とにもかくにも硬く濃厚であるという。

昔は、縄で縛って運ぶことができたくらいであったとも。

ただ、よくよく考えてみると、沖縄でなくとも、もともとは
どこでも豆腐は硬かったような気もする。
30年近く前の話だが、私が学生頃、新潟県の最北部の町に
民俗学の卒論を書きにフィールドワークへいっていたことがある。
ここの豆腐は東京のものよりもそうとうに硬く、湯豆腐でも
随分とうまかった記憶がある。

豆腐というのは、柔らかくなってきたという歴史が
あるのであろう。

ともあれ、島豆腐。確かに濃厚でうまい。

内儀(かみ)さんがどーしても食べたいというので頼んだ
そーめんちゃんぷる。


なんでこんなものを、と、考えてはいけない。

沖縄では定番の食べ物だが、見た通り、ソーメンを炒めたもので
それ以上でも以下でもなかろう。

さて。

これで四泊終了。

出立の朝飯。

バッフェではなく、連泊した者に特に、お弁当式の
朝飯を出してくれる。

刺身、マグロといか。茶碗蒸し、煮物。
シークワサーの甘煮、玉子焼きなど。

10時チェックアウトでホテルからタクシーで
南の島(ぱいぬしま)新石垣空港まで。

空港に着くまで、運転者の小父さんとちょっと
話をしたこと。

なにかというと、車窓からも見えた石垣島のお墓のことである。

これが石垣島のお墓。

どこということなく、道路脇の畑の中だったり、山の際だったり、
いくつかまとまっているが、いろいろなところにある。

沖縄本島のお墓というのも随分前だが、観光で見せていただいたことがあった。
それは古い(由緒のある?)家のものだったのか、もっと大きなものでだったが、
基本は同じで、形はヤマト(日本内地)の石塔を建てたものとは
随分違っている。

墓の前にスペースがあって、竃(かまど)のような窓がある。
後ろは鍵穴のような奥に向かって膨らんでいる変形の楕円。
(ちょっとミニチュアの古墳のようにも見える。)

運転手さんは竹富島の出身とのことで、詳しく説明をしてくれた。

竹富島などではつい最近まで行われていたというが、
風葬といって、墓に遺体を納め、漆喰で塗り固め、7年間置いておく
という。その後、骨だけになったものを甕(かめ)に納める。
(7年以内に別の弔いが出るとたいへんなことになるという。
運転手さんの知っている範囲でも、実際にあったようである。)
遺体をそのまま納めるので奥に空間があるということ。

この風葬というのは蘇(よみがえ)り、かとも思ったが
どうもそうではないかもしれない。
沖縄ではニライカナイという異界感があって、死者の魂はそこへ帰るという。
帰るのであるから、帰れるように土中には埋めないということなのか。

日本の民俗学でも神のいる異界(他界)感には現世と異界の間を、
魂や神そのものが行き来するというものがある。
かの柳田國男先生はこれは琉球と近似のものであろうと考えたようである。

ただヤマトの埋葬法は縄文、弥生から古墳時代などを考えても土葬であったはずだが、
死生観というのか異界感は似通っていても風葬の習慣は別の系統、
例えばインドネシアなどにも風葬はあるようで、南方系の習俗の可能性もあろう。
(ある種、北のヤマト系と南方系の文化が入り混じっている
と考えた方がよいのかもしれない。)

 

断腸亭の夏休み、石垣島。
明日は、まとめ、らしきものを。


 



 




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