断腸亭料理日記2012
引き続き、
国立劇場の歌舞伎、塩原多助一代記。
今回も着物で出かけた。
10月に入りさすがに単衣ものでは行かれないので
紺のウールのアンサンブル。
しかし、男の着物というのは、なかなか不便である。
女性であれば、羽織を着ないという選択肢もあるのだろうが、
やはり男はそうもいかない。
真夏の薄物を着る時期以外は、基本羽織は
裏のあるものしかない。
裏のある羽織に下の着物は単衣、
なんというのが、まだこの季節なら
ちょうどよいのだが、やはり、それは
禁じ手、なのであろう。
実は、合わせて着てみたのだが、やはり不似合。
元浅草の拙亭から半蔵門の国立劇場までは
ちょいと、不便。
大江戸線で春日までいって、三田線で神保町。
神保町から半蔵門線に乗り換えるつもりであったが、
出掛けに着ていく着物を迷ったため、神保町から
タクシーになってしまった。
天気もよく内濠通りは走っている人で一杯。
国立劇場のように広い車寄せのある劇場に
タクシーで乗り付ける、というのは、ちょっと気持ちがよい。
プログラムと、昼の弁当とお茶、ビールを買って席へ。
国立は弁当はやはりお国のものだからか、今一つ。
カツサンドと内儀(かみ)さんが柿の葉鮨。
食べたのは、序幕の後。
(一口食べてしまった。)
さて、肝心の芝居の中身。
六幕十一場の通し狂言なので、11時に序幕の幕が開き、
四時の大詰の幕まで休憩をはさんで、5時間の長丁場。
これだけ長く、大見得を切るような、いわゆる歌舞伎らしい
荒事(あらごと)、スペクタクルはなく、
途中で飽きてしまいそうだが、なんのなんの、
ほとんど飽きずに観ることができた。
素直な感想として、おもしろい作品であった。
主人公の多助は、上州(群馬県)沼田の出身。
芝居の舞台も、半部以上が上州。
本来の上州弁とは違っていようが、
多助をはじめ、皆が「○○でがんす。」という
語尾で話をしたりし、歌舞伎の作品というよりも、
ちょっと大衆演劇の舞台でも観ているような
気軽な感覚もあった。
(そういえば、○○でがんす、で思い出すのは
マンガのセリフ。藤子不二雄先生の怪物くん。
怪物くんに登場するオオカミ男。彼が確か、
○○でがんす、を使っていた。
また、手塚先生の作品に筋と関係なく登場する
鼻の大きな禿げ頭の二頭身キャラ(スパイダーというらしい。)
が、がんす、ではないが、ごんず。「オムカエデゴンス」
などとよくいっていた。
この語尾のがんす、やはりこれ、この作品が、
元が圓朝作の落語であることからきているのであろう。
江戸落語で田舎者の言葉の語尾には定番として
使われてきた。こういったことで戦後のマンガにも
がんす、は引き継がれたのであろう。)
だいたいの話を書いてみる。
上州沼田の大百姓の養子として育った多助は、
養父亡き後、養母から疎(うと)まれ、命まで狙われる。
これを愛馬の青(あお)が察知し、命を救われる。
多助はもうここにはいられない、江戸へ出よう、と、
考える。
ここがこの物語の最大の見せ場。
落語では『青の別れ』、歌舞伎では『沼田在庚申塚の場』。
ここで愛馬青は江戸へ向かう多助との別れを惜しんで
涙を流す。
動物映画は今でもよく人が入る。
邪気のない動物には、誰もが無条件に感動させられる。
芝居なのでむろん、人二人が入った馬。
このあたりが、現代の感覚では、
ちょっと引くところではあるが、この脚本を
実写で演ればそこそこのものかもしれない。
主演は坂東三津五郎。
多助と、敵役の悪漢、道連れ小平の二役。
二役は二役でも、ただの二役ではなく、小平として引っ込んで、
多助としてすぐに登場する、早替わりの二役。
これは初演時の五代目菊五郎が演った形を踏襲しているという。
この早替わりはなかなかたのしませてくれる。
中村橋之助も多助の身代わりとして殺される百姓円次郎と
悪女またたびお角の二役。
三津五郎先生は今年いくつになったのであろうか、
だいぶ老けたなあという印象。
多助は江戸での成功後はともかく、
沼田時代から江戸へ出てきてすぐは、
20代そこそこ。若々しさが必要であろう。
三津五郎先生に限ったことではなく、歌舞伎ではいつも思うのだが、
お姫様が、皺だらけでは、引いてしまう。
芸の力で、若く見せることもまたあり得るとは思うのだが、
どうにも無理があると見えることも少なくない。
やはり、若い役はある程度若い役者にやってもらった方が、
わかりやすい。
トウシロウの意見ではあるが、なんとかならないものか、
と、毎度思うのである。
この多助という役、病中ではあるが、
勘三郎先生などぴったりではなかろうか。
橋之助は多助の身代わりに殺される百姓と、老悪女というあまり儲け役
とはいえず、橋之助でなくともよいような気もした。
ただ、今年5月の中村座『髪結新三』の家主長兵衛もよかったが、
彼の芸は年齢とともに、ということなのであろう、
どんな役でもあぶなげなく、それも存在感を持って
演じられるよう。
まあ、私のような者にもそんな風に感じられた。
今日はここまで。
この作品について、考えたこと。
もう一日だけ、お付き合いを。
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