断腸亭料理日記2012

中村勘三郎先生のこと

昨日、歌舞伎のことを書いて、
今朝起きたら、勘三郎先生が亡くなっていた。

昨年、一度入院したが復活、今年、4月と5月の
平成中村座の舞台を務めていた。

その後、6月、食道癌の手術を受けたとの報道があり、
結局帰らぬ人になってしまった。

その5月の『め組の喧嘩』『髪結新三』が最後の
舞台ということになるのか。
個人的には、その二つが観られたことは、幸せであった。

謹んでご冥福をお祈りしたい。



さて。

私ごとき者がなんらか、中村勘三郎先生について
語るのは、誠にもって僭越極まりないのだが、
年浅い歌舞伎ファン、あるいは、勘三郎ファンの一人として
書いてみたい。

歌舞伎を頻繁に観るようになったのは、
もうほんのここ数年。

正直のところ、歌舞伎を観るようになる以前は、
芸能人としての勘三郎(当時勘九郎)はあまり
好きな方ではなかった。

むろん、それは歌舞伎役者としての氏を知らなかったからだが、
インタビューやなにかを観ても、なにか軽そうな、
お調子者という印象。その割に、態度はでかい。

平成中村座の舞台を初めて観たのは4年前の08年11月。
浅草寺境内、『隅田川続俤』通称『法界坊』

この舞台を観て認識は大きくかわった。

いや、勘九郎の印象だけでなく、歌舞伎そのものの
私の中での評価も大きくかわった。

平成中村座を観る以前は、ほんとうに思い出したようにしか
歌舞伎を観ることはなかった。

やはり、それまでは、自分の勉強のため、と、
努力して観にいっていたところも多かった。
その理由はいろいろあるが、一言でいえば、
他の歌舞伎をあまり観ない皆さんと同様、
敷居が高く、観にいっても入り込みにくい、
あるいはあまり楽しめなかった。

が、しかし、平成中村座を観て、180度かわった、と
いってよい。

本当に、腹の底から、おもしろかった。
エンターテインメントとして大きな拍手を
素直に送りたくなった。

この理由もいろいろある。

平成中村座は、小屋が狭い分、役者が近い。
ライブ感が違う。

また、勘三郎のエンターテナー振り。
むろん、ちゃんとした歴史のある演目だが、
(その歴史を踏まえつつであろうが)
アドリブもあり、また、花道から、客席を含めて
縦横無尽に小屋の中を駆け回る演出。

歌舞伎座や、新橋演舞場の歌舞伎とはまったく違った
楽しさを発信していた。

本来歌舞伎は、江戸・東京庶民のものであった。

それが平成中村座では蘇っている。

中村勘三郎先生はこんなことをしていたのか。
こんなことをしたかったのか。

実に目から鱗。

驚嘆、で、あった。

勘三郎のプロデューサーとしての力。
そして、役者としての凄さ。

こんな人は、やはり歌舞伎界には
他にはいない。

まざまざと魅せつけられた思いであった。

そして、この5月。

『め組の喧嘩』は、フィナーレに向けての立ち回りで盛り上げ、
最後、幕が閉まっても、拍手鳴りやまず、
観客総立ちのスタンディングオベーション。
歌舞伎でのスタンディングオベーションなど、
私は初めての経験であった。

『髪結新三』 こちらはむしろ、オーソドックスな舞台であったろう。
(オーソドックスでも十分にわかりやすい作品ではある。)

だが、これも最後。
(その時の文章をそのまま転載させていただく。)

・・・・・・・・・

舞台が明るくなって

『まずこんにちは、これ切り』と座頭(勘三郎)の台詞。

これは、今ではあまりやらないが、歌舞伎の伝統的な幕の閉め方。
すると、ぱっと、後ろの背景が開いて、外が見える。
正面の黒い夜空に、実物のまん丸の大きなお月様。
で、幕。

この日は、総立ちのスタンディングオベーションには
ならなかったが、やはり拍手鳴りやまず、再び開いて、
勘三郎の一言。
「これ、いつもは開けないんですが、今日は、お月様がきれいなんで、、」
と。

勘三郎先生、粋なもんである。

・・・・・・・・・

『法界坊』では演出で開けていたが、中村座ではいつも、
舞台の背景の壁は開いて外が見える仕掛けにしているのだろう。

浅草の隅田川の土手越し、実物の満月を臨時に観せてしまう。

大向こうを唸らせるエンターテナーであり
粋な舞台監督でもあった。

歌舞伎というものを、文字通り、平成の現代の人々に
少しでも近付けようと奮闘されていた。

そして、それは十分に成功していた。

勘三郎先生の死は、早い。
早すぎる。

まだまだ、ずっと、平成の世に、歌舞伎をもっともっと
多くの人に魅せたかったであろう。

万感の思いを込めて、拍手を贈りたい。


「よ!中村屋」。





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