断腸亭料理日記2012

国立劇場11月公演・
歌舞伎・浮世柄比翼稲妻 その2

11月23日(金)勤労感謝の日

引き続き、国立劇場の歌舞伎『浮世柄比翼稲妻』。

昨日、この作品についての作品としての考察を、と、
書いてしまったのだが、歌舞伎素人で、特に、大南北作品について、
私が、なんらかのことを書くのはとても、畏れ多いということに
よくよく考えて、気が付いた、のではある。

つまり、観終わって、帰ってきて、ある程度調べてみて、
わからないことがよけい増えてしまったのが、本当のところ。

黙阿弥作品であれば、、好きだということもあり、
ある程度黙阿弥という人の周辺情報も含めて、勉強はしてあるので、
素人ではあるが、なんらか言いたいこともあるし、
過去、ここにもなん回か書いている。

しかし、南北の作品はあまり意識して観てもこなかったし、
南北自身の人となりや、人生背景あるいは、さらにそれらを
時代に重ねて、などなど、やっていないことが、山ほどある。

だがまあ、考察、つまり、考えるだけならば、
誰でもできるわけだし、なにも書かなければ
私自身も進歩しない、ということもある。

読者の皆様には、甘える格好になるが、
お許しをいただいて、現状の私の知識の範囲で
書かせていただく。

昨日、“話は、あっちゃこっちゃと散漫”などと、
書いてしまったが、この通し狂言だけを観た者の
印象としては、間違っていない、と、思われる。
おそらく、初見の人は、私のように誰でもそう思うだろう。

ただ、問題は、通し狂言、つまり、一つの完結した話、
として上演されたものを観てもそう思ったこと。
(初演時のものとは、異なってはいるようだが、
それでも製作側はそこを目指していたことは、
プログラムを読むと確かなようで、一応の完結した
文字通り“通し狂言”と思うこととする。)

これが、実はこの作品、いや、この時代の
南北作品の大きなポイントなのではないか、と
考えたのである。

つまり、最初っから、ごちゃごちゃだったのでは、
と、いうことなのである。

いろいろな解説を読むと、もともと、
南北作品の特徴は“綯交(ないま)ぜ”といって、
例えば、今作品でいえば、生きていた年代がずれている
幡随院長兵衛と白(平)井権八を同時に登場させる、
と、いったようなことをする、という。

いや、実際には、この作品、そんなものではない。

話の筋自体がごっちゃごちゃ、なのである。

例えば、白井権八でいえば、前半で人を殺し、その後
鈴ヶ森で再登場し、幡随院長兵衛と出会うのだが、
その後は全く登場せず、彼の話は、完結しないで、
おしまい。

この作品、原作があり、この時代の読本(軽小説)作家
山東京伝のベストセラー『昔話稲妻表紙』1806年(文化3年)。

これに描かれている、大名家のお家騒動が基本のストーリーで、
ここに、白井権八やら、幡随院長兵衛やらを、無理やり
突っ込んでいるという格好。

ちょっとだけ、解説をすると、白(平)井権八は江戸初期の
実在の極悪人で130人も殺し、鈴ヶ森で刑死している。

そして、権八は新吉原の傾城小紫となじみ、小紫の方は権八の墓前で
自害し、二人を祀った比翼(ひよく)塚が築かれた。
(私は未確認だが、この比翼塚は今も目黒不動にあるよう。)

で、この権八と小紫と話は、現代にはほとんど残っていないようだが、
この時代、少し前に芝居にもなっているようで、観客は皆、
知識として知っている、という背景があった。

このため、最初に出てきて、おいしい芝居をして、
後は尻切れトンボでも、観客は不思議にすら思わなかったのでは
ないか。
そして、さらに、こういう脚本、演出がむしろ普通であった。

一幕一幕、なにかおもしろければそれでよい。
そういうことだったのか?。

この一つの芝居を観ただけでそう断定するのは
むろん、危険だとは思うが、この時代、文化文政期、
というのは、なんとなく、そんな雰囲気だったのでは
と仮説を立てたくなってくるのである。

さて。

もう一つ。

この芝居の有名ではない、三幕目『浅草鳥越山三浪宅の場』。

この幕は、おもしろい。

雨漏りのする裏長屋で、天井から大きなたらいを
ぶる下げて、そこで色男、若侍の山三が雨宿りをする。

また、その長屋の部屋へ、禿(かむろ)やら新造(しんぞ)衆やら
一連隊を引き連れて、花魁がご存知の道中をしながら
やってきて、皆で歌いはやしながら踊る。

なんだか、わけがわからない。

つまり、いわゆる、ドタバタ喜劇。

わるふざけのようなことをする、のである。

ここだけ取り出して、こういうものとして
観れば、まあそれなりに成立をするとは思うのだが、
やはり、芝居全体に入れると現代の感覚では、
異質で、ある。

なにがしたいのか?
という思いが湧いてくる。
これも、綯交ぜ?。

いや、これもまた、南北作品の?、あるいは原作の山東京伝の?
さらには、この時代の特徴なのでは、と、いう仮説を立てたくなって
くるのである。

山東京伝の?、というのは、まんざら当てずっぽうでもない。
この五月に平成中村座で観た、善玉と悪玉の踊り

なにやら、これを思い出す。
これも、実に、山東京伝の原作。

おふざけ、ドタバタ。

おもしろそうなものを、なんでもかんでも突っ込んで、
おもしろければいいじゃないか、エンターテインメントに
徹し切った、おもちゃ箱のような作品。

文化文政時代というのは、これは私も少し調べたが
かの天才狂歌師であり御徒組の下級御家人、蜀山人
太田南畝先生
ともある程度重なり、
また、この後、ジワジワと江戸落語が生まれてくる。

そして、文化文政の後の天保から、歌舞伎は黙阿弥の時代になる。

ドタバタと、おもちゃ箱があって、業の肯定たる落語と
黙阿弥が生まれた?!。


以上、トウシロウなり考えてみた、こと、ではあった。

拙亭には、大南北先生最大の作品、
『東海道四谷怪談』がある。
また、山東京伝の研究書も複数ある。

これら、読むことをお約束し、この項終了としたい。





 




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