断腸亭料理日記2012

駒形どぜう

6月6日(水)夜

夜。

今日は、どぜうを食べに行こうと考えた。

うなぎもこれから季節だが、どぜうも夏のもの。

どぜうや、と、いうと、駒形どぜう

駒形は、あまりにも有名であろう。

日本建築の一軒家の店のたたずまいといい、いかにも
浅草らしい。

これに対して、浅草にはもう一軒飯田屋という
どぜうやがある。

こちらはこちらで、江戸も享保創業の駒形ほど
古くはないが、それでも明治からあり、永井荷風先生をはじめ
文化人の行き着けも少なくはなかった。

地元の人間、もしくは通を自任する向きは、
判官贔屓というのもあろう、はとバスもくる、
有名すぎる駒形よりも、飯田屋の方の
肩を持つことも少なくないようにも思う。

私も、どちらかといえば、
そんなことを考えていたこともあった。

だが、駒形が観光客で混んでいるのは、土日のみで、
ウイークデーの夜は、さほどのことはない。

そして、問題の味。
これは好みではあろうが、食べ比べると、
私は、駒形の方が、気持ち味が濃くて、うまい、
と、思う。

ともあれ。

帰り道、大江戸線、新御徒町から一駅乗り越して、
蔵前で降りる。

蔵前駅から路地を抜けて、北へあがって、
バンダイ本社の隣、蔵前通り(江戸通り)沿いが、
駒形どぜう。

8時少し前。
ちょうど、出てくる人と入れ替わりで、
格子の中に入る。

下足のお兄さんに一人、というと、
テーブルか座敷か聞かれ、むろん、座敷、と、
応える。

木札をもらって、あがる。
この木札は、下足札だけではなく、勘定にも使われるが
今でもこの仕組みを使っている店はさほど多くはない。
知っているのは、この前いった、桜鍋の森下みの家
くらいか。

玄関の土間からあがれば、いきなり
大広間に籐畳の入れ込み座敷。

そこに桜材の一枚板が奥から順に横に並んでおり、
お客は差し向かいそこに並んで座る。

若いお姐さんに案内されて、中央に近い座布団に座る。

そうそう、老舗にしては珍しく、と、いうべきか、
ここのお姐さんは皆、若い。
少なくとも、20代前半ではなかろうか。

しかし、店の教育がよいのであろう、若いが、意外に
ちゃんとしている。

今は、浴衣姿。

座って、まずはビール。


スーパードライがすぐにくる。

注文は、迷わず、丸鍋。

品書きにはそう書いてはいないが、これで通じる。

割いたもの、もあるが、丸のままのどぜうの鍋を、
丸鍋、と、昔からいう。
ご通家は、略して、マル、とおっしゃる。


お姐さんがすぐに小さな焜炉(こんろ)にのせた鍋を、
持ってくる。

さっと出てくる。
この気合。

決まり物なので、早く出てくるのは、あたり前といえば、
あたり前だが、こうでなくてはいけない。
この気合が、江戸・東京下町の食い物や、で、ある。


ねぎを山盛りのせて、ちょいとねぎが煮えるのを、待つ。
どぜうは、あらかじめ、白味噌で煮てあるので、
すぐにでも食べられる。
食べられるので、待ちきれず、どぜうだけ、つまむ。


ねぎも煮えてきた。

煮えるそばから、ねぎを足し、どぜうとともに、
食べ、また、ねぎを足す。

一枚食べ切って、お代わり。

台所側に並んで立っているお姐さんに、お代わり〜、と、いう。

お代わりは空いた鍋の上に、お姐さんが、
わんこそばのように、どぜうを、足してくれる。

またまた、ねぎを山盛り。

どんどん食べる。

うまかった。

食べ終わり、お勘定。

基本、私は、ここでは丸鍋以外のものは、食べない。

勘定は、座ったまま。

勘定が済むと、最初の札の裏が、代済(だいすみ)に、
かわる。


どっこらしょ、っと、立って、玄関へ。

札を出すまでもなく、靴は出ていた。

靴を履いて、ご馳走様〜、と、出る。

店前の緋毛氈(ひもうせん)がかかった
縁台前で、一服。


夏向きに、麻の暖簾が涼しげ。


むろんここからは、歩いて帰れる距離。

ねぎのにおいに包まれて、ぶらぶら帰宅。




駒形どぜう


台東区駒形1-7-12
TEL.03-3842-4001








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