断腸亭料理日記2012
7月16日(月)海の日
さて。
海の日。
朝起きて、よし、今日は展示会を観にいこう!、
と、思い立った。
などと書くと、ちょっと嘘。
折角のなにも予定のない祝日であるから、
多少、実のあることをしよう、が出発点。
実は、ここに行き着く前に、芝居(歌舞伎)?、というのも
考えた。しかし、これは、トンデモハップン!。
歌舞伎好きの方でなくとも、ニュースやワイドショーにも
取り上げられていたので、多くの方がご存知であろう。
今月は、様々な話題を提供した、三代目猿之助改め
二代目猿翁の復帰舞台。
当日、チケットなどはあるわけもなく、いやそれ以前に
今月すべてが既に売り切れ。(これ、珍しいのではなかろうか。)
で、展示会、展覧会。
上野のフェルメールは遠慮して、両国の江戸博こと、
江戸東京博物館の『日本橋』展に行くことにした。
(フェルメールに興味がないのではなく、
単に、私としてのプライオリティーの問題である。)
展示の正確なタイトルは、
『江戸東京博物館開館20周年記念特別展
日本橋〜描かれたランドマークの400年〜』。
Webで調べると、おっと、よかった、
今日が最終日、で、あった。
やはり、視ておいた方がよいに決まっている。
この日記でも、毎度、日本橋については随分しつこく
書いている。
なにかといえば、『首都高速が上を覆っている
日本橋は、なんとかしなければならない』と。
江戸・東京、いや、我が国のへそ、と、いってもよい
日本橋が、今のような日陰の存在でよいわけがない。
日本橋を青空のもとに戻してやらなければ、
先祖の助六に申し訳が立たぬ、なのである。
じゃあ、もっと早く行けよ!、で、ある。
最終日に、それも思い付きでいくとは、
その了見や如何に、で、ある。
言い訳をすると、日本橋の特別展をやっているのは
知っていた。しかし、あまりにも直球、まん真ん中の
ストライク。なにか、そういうものを視にいくことに
テレ、というのか、抵抗があった。
ともあれ。
11時前、もう、猛暑が始まりつつあるが、
自転車で出る。
今日は、上はアロハはやめて、白いポロシャツ。
だが、下はいつもの短パンに素足に雪駄履き。
拙亭のある元浅草から両国の江戸博までは
どうであろうか、自転車ならば10分ちょいであろう。
東へ真っ直ぐいって、厩橋を渡り、東詰を右折。
隅田川沿いを真っ直ぐ南へ行けば、もう国技館。
今、相撲は場所中だが、名古屋。
国技館の裏にまわり、自転車を置いて、江戸博へ入る。
自転車で風を切っても、そうとうな暑さ。
扇子でパタパタ煽ぎながら汗がひくのを待つ。
今日は常設展は見ないので、特別展のみ、1000円也。
イヤホンガイドも、いつものように、借りる。
これは、自分で決めているのだが、歌舞伎でも然り、
せっかくきたのだから、得られる情報はすべて得なければ、
もったいなかろう、ということ。
汗がひいて、入る。
江戸の頃の日本橋は、基本は浮世絵などの展示。
最も有名な日本橋の浮世絵といえば、これであろう。
歌川広重の東海道五十三次の一枚目、日本橋。
あまりにも有名なものである。
おそらく見たことのない人はいないであろう。
この絵はどこから見たアングルか
お分かりになろうか。
ほぼ正面からなので、南、京橋側か、北、神田側か、
どちらか、で、ある。
見分けるポイントは左側。
天秤棒を担いだ魚売り、あるいは青物売りが数人いるが
その前、つまり、画面の左端。木の四角いものが描かれている。
わかりずらいが、これ、高札(こうさつ)なのである。
高札というのは、幕府のいわゆるお触れなどを掲出したもの。
江戸中でもなんヶ所かこの高札場はあったがそのうちの一つが、
ここ。(他には、四谷大木戸、高輪大木戸などにあった。
高輪に今でも札の辻という交差点がある。ここは東海道に向けた
江戸の出入口である高輪大木戸で、ここにも高札場が
あったのである。それで、高札のある辻なので、札の辻、で、ある。)
この高札場があったのは、南詰め西側。
今は、ちょっと道路より下がったところに記念碑やら
説明やらが置かれたスペースになっている。
つまり、大名行列はこれから国許へ帰るところ、という
見立て、なのであろう。
ついでだが、この高札場前、東側は、絵などには
書かれない、おそらく書いてはいけないものであったと思われるが、
犯罪者の“晒(さら)し”の場所であった。
いわゆる晒し者、で、ある。
前に書いているので、再掲。
『いわゆる、晒しの刑。
極悪人であれば、市中引き回しの上(うえ)獄門、、等々、
様々な刑があった。その内、処刑される者へも、晒される
付加刑、というのがあった。それに加えて、おもしろいのは、
晒されるだけが、刑というものもあった。
なにかというと、『破戒』と『相対死未遂』。
破戒とは、坊さんが、戒律を犯した場合。
相対死は、あいたいじに、と、読むが、
ようは、心中、のこと。
心中してしまっては、死んでいるので、罰せられないが
未遂の場合、晒された、という。
朝、小伝馬町の牢屋敷から、ここまで連れてこられ、
日中晒され、日暮れには、また、小伝馬町に戻る。
これを三日間なり、行なう、という。
なぜ、心中が罪なのか。
今の感覚では、わかりにくいと思うが、
当時は、一応のところ、封建社会。
心中というのは、親なり、家なり、社会制度の中では
一緒になれないので、死んで、結ばれよう、
台(うてな)の上の、新所帯(あらじょたい)、
というわけである。
まあ、いってみれば、体制への批判者、反逆者、
ということになる。それで、科人(とがにん)、
ということになったのである。
心中はむろん、芝居などにもよく出てくるが、
こうした未遂の例も出てはくる。
落語「鰍沢」などもそうで、噺の中でも語られるが、
日本橋で晒された後は、男女分けられ、
吉原そば、千束の非人溜(ため)へ落とされた、という。
こんな川柳があったようである。
日本橋馬鹿をつくした差し向い
なるほど。』
と、これは展示内容ではない。
長くなった。
つづきはまた明日。
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