断腸亭料理日記2012
一日、戻るような格好になるが、
連休中の日曜日。
1月8日(日)午後
相変わらず、朝からぐうたらした一日。
3時頃、腹が減った。
なにを食べようか。
正月というのは、なかなか、外食ができないし、
新鮮な生ものも出回らぬので、しばらく食べていなかった、
鮨。
鮨が食べたい。
連休のそれも、半端な時間にそこそこちゃんとした
鮨が食べたい、というと、ここ。
浅草松屋に入っている、銀座すし栄。
すし栄というのは、本店は銀座。
そして、銀座の松坂屋にも入っており、ここに、
池波先生が豊子夫人と買い物のついでであろう、
寄っていた、というので、いくようになった。
すし栄自身は嘉永元年創業というから、
ペリー来航が同6年なので、やはり幕末ということになる。
にぎり鮨の発祥は、柳橋や浅草にある美家古鮨が、
文化年間といわれ、最も古そう。
また、にぎり鮨の考案といわれる、華屋が両国で文政七年開業。
(華屋は今はない。)
(にぎりの鮨は、この文化文政期に江戸で生まれ、
瞬く間に全国に広まった、と、いわれている。)
ともあれ。
にぎり鮨は江戸で生まれたわけであるが、
江戸まで創業がさかのぼれる(といっている)ところは
そう多くはない。
(うなぎやなどは、江戸創業は随分とあるが、それに比べて
意外というべきではある。)
そういう意味で、すし栄は、貴重な存在ではあろう。
さて。
にぎりの鮨というのは、冷蔵設備がなかった頃
生まれているわけで、その昔は、ほとんどの
ねたが、酢で〆(しめ)る、しょうゆに漬ける、煮る、茹でる
蒸す等々の仕事をして酢飯と一緒ににぎっていた。
ゆでた海老、煮穴子、煮蛤、鮪赤身のしょうゆ漬け、
いわゆるヅケ、小肌の酢〆、〆鯖、等々仕事をしたものは、
今でもにぎり鮨の定番のものが多い。
にぎり鮨が生まれたのが、文化文政の頃とすると、
1800年代初頭なので、200年ほどの歴史がある。
そして、冷蔵設備が一般に普及したのは、戦後
であるから、それからは、70年ほどである。
サプライチェーンも含めて、戦後、
冷蔵設備が完備され、東京の鮨やの、ねたの
作り方も徐々にであろうが、変わっていった。
鯖なども、今は、完全に〆てしまうのは、
むしろ少数派であろう。
また、たねとなる魚介類も以前は文字通り
東京湾で獲れた江戸前あるいは、せいぜい相模湾で、
それ以外はほとんど使っていなかったが
北海道や、関西、九州(さらに輸入物、養殖物)も
にぎるようになっているだろう。
しかし!
なのである。
考えていただきたい。
先に述べたように、にぎりの鮨は、圧倒的に、まだ、
冷蔵設備のなかった頃の方が、期間としては、長い、のである。
思うに、この冷蔵設備がなかった頃、
戦前までで、ある程度、にぎり鮨というものは、
完成していたのではないかと思われる。
生ものを直ににぎるようになってたかだか70年。
まだまだ、このスタイルでは発展途上といってよいのでは
なかろうか。
むろん、昔のすべてのたねに仕事がしてある方が
無条件でよい、といってはいない。
ものによっては、拵え方によっては生の方がうまい。
結局、どうしたら一番うまいか、ということを
にぎる鮨職人が試行錯誤をしながら、考えて、出す。
これが現代のにぎり鮨なのであろう。
(その最高峰が、数寄屋橋の巨匠なのであろう。)
ともあれ。
生半可なものよりは、昔の仕事をしてあるもの、
150年近くかかって完成されたものの方が、うまい、
と考えている。
ゴタクこのへんでやめるが、まあ、そんなことで、
昔の技をある程度、保持していて、近所で
リーズナブルにつまめる鮨やとして、浅草松屋の
すし栄は手頃なところ、なのである。
内儀(かみ)さんとともに
自転車で、出る。
天気はいいが、やっぱり、寒い。
松屋の脇の駐輪場にとめて、地下のすし栄へ。
ここは店売りの方が多いのであろうが、奥に
ちゃんとカウンターがある。
お酒をもらう。
箸袋などに書かれている顔のイラストは、
「フクちゃん」の横山隆一氏デザイン。
にぎりは、旬彩という一人前をもらう。
上、左からあん肝、煮いか、いくら。
中、子持ち昆布、赤身、鰤、小肌。
下、蟹、〆鯖、トロ。
ここの特徴は、酢飯の味が濃い目、ということかも
しれない。小肌、鮪赤身とトロが特にうまい。
追加で、小肌と平目。
ここは小肌がうまい。
一人前に入っていたが、また、頼んでしまった。
やはり、江戸前仕事をちゃんと受け継いでいる、
ということではあろう。
いかと、海苔巻。
一人前には入っていなかった生のいか。
本来の江戸前鮨では、生のいかは、すみいかと
決まっていた。
先ほど出た煮いかは、やりいか、か。
海苔巻の干瓢は、やはり平均よりは濃い目の味付け。
東京の味、で、ある。
今年最初の鮨。
うまかった。
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