断腸亭料理日記2011
引き続き『浅草落語散策』。
仲見世を抜けると、目の前に宝蔵門。
雷門は、風神と雷神。
こちらは、二人の仁王様で、俗にいう、
仁王門。
これは、小咄。
観音様に夜、泥棒が入った。
この泥棒が、仁王門を通りかかると、
仁王様が気が付いて、とっ捕まえ、
腹を踏みつけた。
これには泥棒もたまらずに、プー、と、
屁をこいた。
と、仁王様
「くせもの〜」
泥棒が
「におうか〜」
この小咄、古典なのであろう。
粗忽長屋の枕に使ったりする人もいる。
お参りは後にして、
右側に曲がり、トイレと灰皿もあるので、
ここでしばし、休憩。
この観音様の境内だと、どんな噺があるかな。
簡単なところで、蝦蟇の油。
蝦蟇の油、というのは、知らない人は
あまりいないと思うが、これが落語にあることを
知らない人も多いかもしれない。
以前であれば、先代金馬師、柳好師(野ざらしの)あたりの
得意ねたであったか。
私は、談志家元が演るので、なん度も聞いているし、
自ら憶えたこともある。
(どうも、口上が好きなのである。)
蝦蟇の油売りがひと商売して、そこそこ
売れて、一杯呑んで、もう一回と、
酔っ払って、口上をやる。
刀で自分の腕を切ってみせて、血が出るのだが、
普通は、蝦蟇の油をつけると、即座に痛みが去って
血が止まる、のであるが、、
酔っ払ってやったため、なん度塗っても
血が止まらず、、、
「あ、あ、あ、、、血が、止まらない。
お立会いに、血止めはないか」
という、まあ、他愛はない。
口上を聞かせる噺、といってもよいかもしれない。
この蝦蟇の油には、もう一つ、別バージョン
高田馬場、という噺もある。
こちらの蝦蟇の油売りは、若い姉と弟。
やはり、最初に観音様の境内での
口上。
口上が終わると、一人の老武士が出てきて、
古い刀傷にも効くか、と聞く。
見せてもらわないと、わからないと、いうと、
老武士は、着物をはだけて、背中の古傷を見せる。
実は、この若い姉弟、仇討のため、仇(かたき)を捜していた。
この傷は、確かに、親の仇。
いざ尋常に勝負、と、いうことになる。
しかし、老武士は、姓名を名乗り、いかにも拙者は
あなた方二人の仇。
だが、ここは観音の境内。血で穢すわけには
いかないと、明日、高田馬場で、と、約束し、
別れる。
これを聞いていた、まわりの聴衆。
明日、高田馬場で仇討であると、大評判になり、
翌日になると、高田馬場には、小屋掛けの
茶店まで出る騒ぎ。
が、時刻がきても、いっこうに始まらぬ。
どうしたのかと、皆、訝(いぶか)っていると、
茶店で、昨日の老武士が、徳利を並べて、
よい機嫌でいるのを、見つけた者があった。
問い詰めてみると、実のところ、仇討というのは、
真っ赤な嘘。こやつ、仇討屋という稼業で、
二人の姉弟もこの男の子供であるという。
そして、ここの茶店からあがりをもらって、楽〜に、
暮らしているのさ。
と、まあ、そんな噺、である。
その昔、この観音様の境内でも
蝦蟇の油売りが、いたのやもしれない。
さて。
もう一つ。
今、休憩をしていた、トイレのあるところ。
仁王門に向かって右側の手前。
お祭り用品の店、などがあったりするが、
その前。
時の鐘と、弁天様のお堂があるが、
これが弁天山。
(弁天山美家古という鮨やの名前に残っているが。)
星野屋という落語がある。
これはまあ、今日の皆さんの中には
知った人はいなかった。
レア、とまではいかないだろうが、
著名な噺ではなかろう。
この噺は、先代文楽師か。
この噺に登場する、お妾さんが、
元弁天山の下の茶店「すずしろ」の女。
今は、境内にも仲見世にも茶店、というものは
ないが、その昔、江戸の頃には、楊枝屋と、
茶店であった。
茶店は、いわゆるお茶を出す茶店だが、
きれいなお姐さんを置いておき、客を呼んだ。
このお姐さんは、錦絵にまでなったような
存在ではある。
吉原の花魁か、茶店のお姐さんかというくらいのもの。
江戸の頃の観音様は、そういう意味では、もっと
いろっぽいところ、と、いってもよかたのかもしれぬ。
長くなった。
今日は、このへんで。
続きはまた明日。
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