断腸亭料理日記2011
9月17日(土)
引き続き『講座』の人形町。
今日は、甘酒横丁から。
さて。
今、甘酒横丁にあるお店と、その創業の時期を、
並べてみよう。
煎餅の草加屋(創業昭和3年)。
改装中のうようで、並びだが、別の場所で営業中。
人形町志乃多寿司総本店(創業明治初年)。
志乃多寿司は、神田須田町にもあり、古そうだが、
神田は明治35年で人形町の方が古株。
おそらく、暖簾分け、なのであろう。
ちょいと、調べてみたら、志乃多寿司には、さらに浅草志乃多寿司、
新橋志乃多寿司、とあり、それぞれ、出店もあったりする。
よく、デパ地下でも見かける。どこがどこなのか、
調べていないので、今はわからないのだが、今度
時間があったら、調べてみようかしら、、。
ばち英(創業大正6年)、岩井つづら店(創業江戸末期)。
この2軒は、食べ物やではないが、いかにも人形町らしく、
よく取材などでも取り上げられる。
つづらは、子供の頃を思い出すが、舌切雀に出てきたっけ。
竹で編んだ衣装入れ。柿渋と漆で朱や黒に塗ってあるもの。
こんなものが家にあると、ちょいと乙であろうか。
そういえば、今思い出したが、旅まわりの役者の楽屋に
これが置いてあったような風景が頭に浮かんだ。
相撲取りもそうであったか、明け荷、といったような。
単なる衣装入れではなく、持ち運ぶことを前提にしたもの、
といった方がよいのかもしれない。
ばち英は、三味線やさん。
それから、豆腐双葉(創業明治40年)、
(その隣、いつもほうじ茶の香ばしい匂いのする
お茶屋さんがあって。)
人形町通りとの交差点。
左の角。
京菓子玉英堂(創業1576年(天正4年)、
現在地には戦後。)
築地の塩瀬総本家も、もとは京都の店で、
家康について、江戸にきたという。
この店はそこまでではないが、同じように
東京へ進出、という例なのであろう。
さて、交差点を渡って、右角。
ご存知、親子丼で有名な玉ひで。(創業1760年(宝暦10年))。
別段、親子丼屋ではない。軍鶏鍋や。
私は、残念ながら、入ったことはない。
ここのページを見ていたら、おもしろいことを
発見した。
ここの[玉ひで]、という屋号は明治31年になってから。
それ以前は[玉鐵(たまてつ)]であった、というのである。
軍鶏鍋やで、玉鐵、、、。
なにか、ピンとこないであろうか?!
そう、五鉄。
鬼平の五鉄、で、ある。
五と玉は、字も形が似ているではないか。
もしやすると、五鉄の名前の由来は、
ここかもしれぬ。
ともあれ。
実際は、ここは渡らず、左に折れて、水天宮を
目指すのだが、ついてに、その隣も書いておこう。
さらに、玉ひでの先には、この前書いたが、
洋食やの、小春軒。
この前は書かなかったが、ここは、
かつ丼の元祖、という、説もあるようである。
創業明治45年で、今は、三代目と四代目。
その初代が考案した、かつ丼を再現した、というものが
ここにはある。
初代、ということは、明治の頃である。
かつ丼の元祖、と、いってもよいのではないか?!。
今まで食べてみたことはなく、確認したくなり、
実は、この『講座』の後、またまた
小春軒へいって、食べてきたのである。
(むろん、同じ日ではない。)
今いう、かつ丼、とは、そうとうに違う。
これ、どういうものなんかというと、
タレ(の、ようなもの)はデミグラスソース、という。
カツは一口カツ。おそらくヒレ。
その上に半熟の目玉焼き。
野菜は玉ねぎと、なぜか、角切りのじゃがいも。
なにか、不思議なもの、で、ある。
前に一度考えてみたことがあったが、
今のかつ丼は、少なくとも、とんかつが生まれ後に
出来た、発明されていたのではないか、
と、考えている。
その理由は、、
とんかつが生まれたのは、明治の終わりから、大正の初め。
洋食やのカツレツが独立し、和食のようなとんかつやが
生まれた。
で、そのとんかつやには、かつ丼はない。
不思議でなないか。
これは、かつ丼はとんかつやよりも後からできたので、
それより先にできたとんかつやは、後からできたものなんぞ、
作れるか!、と、考えたのではないか、
というのが、私の推理、である。
と、すると、おそらく明治に生まれた、小春軒の
とんかつの方が、随分と古いことになる。
しかしまあ、食べてみて思うが、
今の、広まっているかつ丼の方が、残念ながら、
と、いうべきか、正直のところ、うまい。
余談のような回になってしまったが、
今日はここまで。
また明日。
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