断腸亭料理日記2011
引き続いて、5月の『講座』。
八丁堀から、新川、そして、
鉄砲洲まで歩いてきた。
江戸の地図。
鉄砲洲稲荷の富士塚。
鉄砲洲稲荷の社殿の右手奥には、
富士山の溶岩で築いた富士山のミニチュアの
岩山が、ある。
富士講、というのを聞いたことがある方は
おられようか。
信仰のために富士山に登る講、グループ、
で、ある。
落語にもあるが、江戸では、神奈川の大山参り、
というのも、盛んであったが、富士講も
大いに栄えていた。
山を信仰の対象とするのは、日本に古くからあるものだが
富士講というのは、江戸に入り、流行するようになったもの。
江戸末には、「江戸八百八講、講中八万人」といわれるほど
であった。
今でいう、新興宗教といってよいような存在。
江戸の頃は、今以上に、富士山というのは、一般の
江戸の市民にとっても、特別な存在であったといってよかろう。
私が民俗学を学んでいた大学当時の指導教官であった、
宮田登先生なぞは、富士信仰について、こんな考察をされている。
富士山には本体の山と合わせて、無数にある山麓の洞穴がある。
これらも信仰の対象であった。
洞窟は、天岩戸(あまのいわと)など日本書紀など神話の世界でも、
扱われているが、性的なものとして、日本人は古くから
考えていたという。
富士山麓の洞穴を、胎内なとというのも、女性を象徴している、
という。
また、文化文政時代の山東京伝が書いた黄表紙『富士之人穴見物』では
女性を象徴する穴を通り抜けることによって、生まれ変わる、という
コンセプトが描かれているという。
富士山は、荒々しい男の神様ではなく、優美な女性、であり、
その山麓にある洞穴と合わせて、夫婦和合の象徴。
つまり、男女の交わり、が、富士信仰の根幹であった、という。
(『すくいの神とお富士さん』宮田登)
江戸の頃は、今からは考えられないくらい、性というものが
オープンであった、と指摘されている。
そんなことも背景に、富士信仰というものが江戸で大流行した、
の、かもしれない。
とってもエッチな、富士信仰?。
なにか、妙な感じもするが、そんな時代を想像すると、
少し楽しいではないか。
ともあれ。
そんな富士講では、代参といって、代表者が富士登山をすることが
多かったが、この鉄砲洲稲荷の富士塚のように、
近くに富士山の溶岩で富士山を模した山を作り、
代わりに登ったのであった。
ここのものは、危険なので、立ち入り禁止、と、
書いてあり、入れないが、山には、1合目から順にあり、
ビルの建て込んだ今では考えられないが、
昔は、この上に上がると、富士山が実際に富士山を
拝むことができたという。
さて。
これは、広重の名所江戸百景「鉄砲洲稲荷橋湊神社」というもの。
毎度の広重の“江戸百”である。
画面手前のクローズアップは、江戸湊に停泊している、
大型の帆船の帆柱。向こうに荷を運ぶ小舟も見える。
左が鉄砲洲稲荷。
堀は八丁堀。
橋が見えるが、これが稲荷橋。
河岸には蔵が並んでいる。
画面奥には、富士山。
鉄砲洲稲荷の富士塚は既に著名で、
鉄砲洲稲荷と富士を同時に描く趣向は
自然なものであったのであろう。
鉄砲洲稲荷の前の道をもう一度、八丁堀方向に
戻る。
信号の先が、埋められてしまった
八丁堀の河口。
ちょうど、ここに先の稲荷橋が架かっていた。
そう。
今、埋められる直前のものであろう、
河口側の親柱だけが、ポツンと、残されている。
鉄砲洲稲荷は、江戸期にはこの袂、
海側にあった。
ここから、左側は、ずっと、八丁堀の跡。
ここは水道局の施設で、屋上が公園になっている。
上がって、トイレもあるので、休憩。
降りて、通りを渡る。
右側が桜川保育園。
桜川というのは、八丁堀の別名。
明治になって呼ばれるようになった名前。
保育園の先は、公園になっている。
桜川公園。
この公園に八丁堀跡の案内板がある。
八丁堀の八丁は、その長さからではないかと
思われる。
八丁は870mで、八丁堀の実際の長さは700mほど。
明治以降の呼び名の、桜川は、今は首都高が
川底を走っているが、楓川(もみじがわ)にちなみ、
秋の紅葉、春の桜、ということらしい。
桜川は関東大震災後、両岸に鉄鋼の問屋が並び、
活況を呈したといい、戦後、昭和30年代には、
ここでの取引が「八丁堀相場」といわれ、鉄鋼相場に
影響力のあった、という。
といったところで、新大橋通りまで、出てきた。
これで、一周。
当初の私の予定は、ここから、さらに
銀座のみかわやまで、歩いてしまおうと
考え、先日書いたが、実際に歩いている。
ここから、新大橋通りを渡り、八丁堀跡を行けば、
5分程度で、前に書いた、三ツ橋に着く。
今は、首都高の京橋出口。
以前の京橋川と八丁堀、楓川、さらに三十間掘の交差点。
さらに、私の足では、10分ほどで、
三越裏のみかわやに、着く。
意外に近いのである。
が、今日は、皆様に合わせ、日比谷線で、三つ乗って、
銀座に出る。
明日は、昨年、新装した、洋食みかわや。
断腸亭料理日記トップ | 2004リスト1 | 2004リスト2 | 2004リスト3 | 2004リスト4 |2004 リスト5 |
2004 リスト6 |2004 リスト7 | 2004 リスト8 | 2004 リスト9 |2004 リスト10 |
2004 リスト11 | 2004 リスト12 |2005 リスト13 |2005 リスト14 | 2005 リスト15
2005 リスト16 | 2005 リスト17 |2005 リスト18 | 2005 リスト19 | 2005 リスト20 |
2005 リスト21 | 2006 1月 | 2006 2月| 2006 3月 | 2006 4月| 2006 5月| 2006 6月
2006 7月 | 2006 8月 | 2006 9月 | 2006 10月 | 2006 11月 | 2006 12月
2007 1月 | 2007 2月 | 2007 3月 | 2007 4月 | 2007 5月 | 2007 6月 | 2007 7月
2007 8月 | 2007 9月 | 2007 10月 | 2007 11月 | 2007 12月 | 2008 1月 | 2008 2月
2008 3月 | 2008 4月 | 2008 5月 | 2008 6月 | 2008 7月 | 2008 8月 | 2008 9月
2008 10月 | 2008 11月 | 2008 12月 | 2009 1月 | 2009 2月 | 2009 3月 | 2009 4月
2009 5月 | 2009 6月 | 2009 7月 | 2009 8月 | 2009 9月 | 2009 10月 | 2009 11月 |
2009 12月 | 2010 1月 | 2010 2月 | 2010 3月 | 2010 4月 | 2010 5月 | 2010 6月 |
2010 7月 | 2010 8月 | 2010 9月 | 2010 10月 | 2010 11月 | 2010 12月 |2011 1月 |
2011 2月 | 2011 3月 | 2011 4月 | 2011 5月
(C)DANCHOUTEI 2011