断腸亭料理日記2011

池波正太郎と下町歩き7月

その6


7月16日(土)

さて。

引き続き、7月の『講座』。
深川、万年橋から、昨日は、
昔の、新大橋の東詰付近にあった、御籾蔵のことなど。




今の場所から、元の新大橋というのは、随分と下流にあったのだが、
じゃあ、今の場所には、いつできたのか。

これは、明治の45年、という。
現在のものは、昭和52年に架け換えられたものだが、
明治当時のものは、一部が愛知県の明治村に移築されている、
とのことである。

隅田川テラスから、街に戻る。

万年橋からきている通りに出て、北へしばらくいくと、
左側に芭蕉記念館がある。

炎天下を歩いてきたので、ここで休憩。

ここには芭蕉関連の史料の展示や、
句会なども開かれており、この界隈を象徴する
施設といってもよいだろう。

ここは、見学ではなく、休憩。
江東区の施設だからであろうか、
冷房温度は、高め。

たいして涼しくはないが、それでもほっと一息。
水分を十分に摂る。

再び、出発。

そうそう。
出発の前に、一つ。


これは、広重の江戸百景、大はしあたけの夕立。

夕立の新大橋を、北側からみている、
ゴッホなども真似をしている、有名な一枚。

あたけ、とは、なにか。

実は、これはこのあたり、新大橋の北側の地名で、
明治以降は、深川安宅町という町名であった。

安宅は、普通は、あたか、だが、ここは、あたけ、と、
読んでいた。

以前にも書いたことがあるが、この安宅の由来というのが、
ちょっとおもしろい。

江戸の地図を見ていただくとわかるが、
この隅田川沿いは幕府の御舟蔵。

江戸の初期、三代将軍家光の頃、
軍船というのか、御座船というのか、
安宅丸というのがあり、ここに係留されていたという。

この安宅丸は、天守閣まであるという、
あまりにも巨大なもので、実際には、自力で航行することも
できないくらいな、しろものであったという。
まあ、幕府の権威を知らしめるためのもの
であったのであろう。

維持費もかかり、ほどなく解体されたらしいが、
その後も、このあたりは、アタケ、と、一般に
呼ばれるようになったのである。

そんな説明をして、出発。

ちょうど、芭蕉記念館の前を、今度は東に歩く。

しばらくいくと、六間掘の跡がある。

跡がある、と、書いたが、そう思って見なければ、
わからないかもしれない。

古地図と現代の地図を重ねてみると、
斜めに北へ上がっている路地が二本。
その間が、堀の跡、で、ある。

六間掘といえば、鬼平には、その名も、寒月六間掘、
という一話がある。

老武士が仇討をする話だが、物語の始まりは、
このすぐ北にある、弥勒寺。
その門前の、名物婆さん、お熊の茶店から
始まる。

寒月、ならばいいが、、、、暑い。

今のこのあたりは、都心も近い江東区深川というよりも
一見、私鉄沿線、ちょっと郊外の閑静な住宅地といった
趣もある。しかし、よくよく家々を見ていくと、
小さな印刷工場だったり、内装工事屋さんだったりと、
やはり、職人さんの多く住む、下町。

六間掘跡を越えて、もう少し歩くと、
左手に神社。

これが、このあたりの鎮守、深川神明宮。

神明様の境内に入る前に、南に向いた鳥居の前にある
案内板。

これには、伊東深水生誕の地、と、ある。

伊東深水というのは、私もさほど詳しくはないが、
大正から、昭和の日本画家。

女優の朝岡雪路さんのお父様というと、
ほう、と、思われる方もおられよう。

作品は、美人画が多い。

深水は、この神明様の門前で生まれ、
同じく深川の東大工町の印刷工場で職工として
働いている頃、鏑木清方に見いだされ、入門。
深水、という雅号は、清方につけてもらったもので、
深川にちなむものという。


神明様は、また明日。






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