断腸亭料理日記2011

江戸博・東京の交通100年博

7月29(金)

今日は昨日の続き。

財布を仲御徒町のラーメンやに、
置き忘れ、両国の江戸東京博物館と、
拙亭のある元浅草、さらに、仲御徒町を
自転車で往復。

天気は曇りで、まだよかったのだが、
それでも、再度、江戸博に着いたら、大汗が
吹き出していた。

ま、休み中のよい運動になったのではあった。

ともあれ。

スポーツドリンクで水分を摂って一通り、
汗が引くまで待ち、チケット売り場に並んだ。

ということで、「東京の交通100年博」。

こういうタイトルであるが、
要は、東京都交通局の100年史、ということである。
なんでも、今年、東京都交通局は、創業100周年。

それまで、民営であった、東京市内の路面電車を、
1911年(明治44年)買い上げて、市営となったのが、
始まりということ。

それで、この展示の、まあ、6〜7割は、市電、都電。
いわば、市電・都電の早分かりのようなもの。

私は鉄道マニア、いわゆる鉄ちゃん、ではないが、
それでも、都電というのは、引っかかるものがある。
詳細は後で述べるとして、是非見ておかねば、という内容なのである。

今回の展示の目玉は、その市電時代の初期の車両の実物大復元模型と
その車両が函館で、路面の雪を掃く、箒(ほうき)のついた、
ササラ電車(よく、季節の風物詩としてニュースに出る。)として
改造はされているが、現役で使われているものが、東京に里帰りしている。
この二つか。

(まあ、私は、車両にはあまり興味はないので、これらは、
見ても、ふ〜ん、てなもの、で、ある。)

では、なにに興味があるのか。

これ、あまり、うまく説明ができないのだが、
路線、ということになろうか。

今、東京には網の目のように東京メトロと、
都営の地下鉄が走っている。
そして、数は大幅に減ったが、まだ都バスも走っている。
(都電も、ご存知の荒川線が走っているが。)

いわば、現代においては、地下鉄と都バスが、
東京都民の足、で、ある。

そして、それ以前は、他ならぬ都電、市電が、
都民、市民の足であった。

都電が荒川線を残して、すべて廃止になったのは、
1972年(昭和45年)。
私が生まれたのは、昭和38年。
7歳の年に、廃止ということなのだが、
残念ながら、私は、都電に乗った記憶も、見た記憶も
ない、のである。

これはなぜか。
育ったのが、練馬の奥、で、あったからか。

7歳といえば、小学校の1〜2年生の頃まで、なのだが、
その年まで、親にもあまり、都心部には連れて行って
もらっていなかったのか。
あっても、忘れているのか。
とにかく、明瞭な記憶は、ない、のである。
(かろうじて、朝霞の方の、川越街道であろうか、
トロリーバスを見た、記憶はある。)

我々よりも上の世代の東京生まれ育ちの方が、
子供の頃の、都電の記憶を話されるのは、正直
うらやましい。(かの、泉麻人氏などは、別格ではあろうが、
熱く、語られる。)

なんとなく、これも、私にとっては、故郷東京の記憶を、
共有できなかった寂しさの一つ、なのではある。
(生まれ時には、既に故郷は、なかったという。)

往年の都電路線図、系統図、というようなものが、
復刻版は出版されたりもしているが、今回の展示では、
当時車両正面に貼られていた、系統表示板と
側面に貼られていた、行き先と中間地点が書かれた、
行き先表示板のすべてが、壁に貼られていた。

これは、私にとっては、壮観な眺め。

断っておくが、物体である表示板そのものに
興味があり、できればコレクションをしたい、という
鉄っちゃん、ではないので、書いてある、地名、
つまり、始発と中間と、終着の地名に興味がある
のである。

例えば、錦糸堀。

落語にも、〜都電の終点、錦糸堀、〜
なんというフレーズが残っているが、
江東橋線(25、29、38系統)というのが、
今の京葉道路を両国二丁目から、錦糸町の錦糸堀まで
走っていた。

あるいは、角筈線(13系統)。
これなどは、私には、都電ではないが、とても
馴染み深い。

秋葉原駅東口‐飯田橋-牛込柳町‐抜弁天‐新田裏‐三光町。

大久保通りを西へ行って、若松町で斜めに左折。
抜弁天からさらに斜めに左に入り、坂を下り、歌舞伎町、
ゴールデン街をかすめる路線。
(ゴールデン街の脇のカーブをしているちょっと
不思議な歩道があると思うが、これが都電の専用軌道の
跡、で、ある。)

牛込柳町は、私の務めるオフィスの裏で、
ここから、新田裏、あるいは、新宿車庫まで。
若い頃、お得意先である某食品メーカーまで
毎日のようにこの都バス路線に乗ったものである。

つまり、都電の系統が、そのままバスで代替され、
さらに、今は、大江戸線になっている。

また。

当時、都電の10系統の運転手であった方への
インタビューが会場で流されていたが、これなども、
とてもおもしろい。

10系統というのは、渋谷駅前から須田町まで。

どこを通るのかといえば、青山通りから
三宅坂、左に曲がって、半蔵門、九段坂上、右折、
坂を下りて、神保町、須田町、で、ある。

その昔、この沿道がどんなで、どこで女学生が乗ってきてとか、
乗客がどんなだったかを、インタビューでは話していた。
リアルタイムでは知らないが、今の情景に重ねることはできる。

今は、この路線は都バスにはない。
東京メトロ半蔵門線が少し近いが、須田町にはいかない。

・・・。

と、まあ、私には、こんなことが、なにやら、
とても楽しいのである。






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