断腸亭料理日記2011
さて。
まだまだ、引き続き『講座』の1月。
江戸の地図
昨日は、江戸初期までの神田と、神田上水のことなど。
昨日、職人町としての神田がスタートした、と、
書いたが、こんなことも、神田について、書いておきたい。
神田、というのは、神田っ子、などともいい、
江戸っ子の中の江戸っ子、生粋の江戸っ子、
と、昔からいわれてきた。
芝で生まれて神田で育ち今じゃ火消しの纏持ち、、
なんという、歌の文句もある。
江戸っ子、って、なんだろうか?。
今では、もう、ここから説明しなければ
ならないかもしれない。
喧嘩っ早い、宵越しの銭は持たない、
見栄っ張り、、。
落語や、芝居に出てくる、職人や鳶。
神田は、生粋の江戸っ子の街といわれるが、
決して、商人の町である、京橋や、日本橋とは、
いわれない。
これはむろん、神田が職人町であったから。
先に書いた、江戸っ子気性が、なぜ生まれたのかという
考察は、長くなるので、簡単に述べる。
宵越しの銭は持たない、は、よくいわれるのは、
江戸は火事が多く銭を貯めても仕方ない、
であるが、まあ、これだけではなかろう。
私は、実際のところ、田沼時代のバブル、というのが
大きな影響があったのではないか、と、考えている。
よく江戸町民で評される、浮世という言葉。
戦国以前の、憂世から、浮世に変わっていった、と。
ある種、現世を享楽的に暮らすというのは、
ちょうど、先月の『講座』で触れたが、蔵前の
札差全盛だった田沼時代、彼らは湯水の如く、
金銀を、蕩尽した。
このあたりが、どうも、浮世であり、
宵越しの銭は持たない、に、つながっているのでは
なかろうか。
ともあれ。
これが、日本橋や京橋の商人町以外の
江戸・東京の下町を代表する気性になっていった。
職人や、鳶達は、べらんめい口調の江戸弁を
まくし立て、江戸っ子と呼ばれることを誇りとした。
ここから、落語や芝居などに登場する、ステレオタイプの
江戸っ子ができていった。
まあ、江戸っ子、というのは、こんな感じ、ではあると
考えられるのだが、池波先生は、この、江戸っ子に対して、
ちょっと、普通とは違うことを言っている。
池波先生は、神田ではないが、浅草聖天町で生まれ、
同永住町の錺物職人のお祖父さんの家で育った。
そして、小説家になっても、自らを、小説を書く“職人”、と、
いっている。
江戸っ子らしい、江戸っ子、と、いって、なんら問題はない。
しかし、先生は、江戸っ子、という言葉が、大嫌いで、
作品にはまったく、書いていない。
そして、江戸っ子の代わりに、江戸人・東京人という
言葉を使っていた。
池波先生は、江戸人・東京人というのは、喧嘩っ早くて、
宵越しの銭は持たない、なんという、そんなステレオタイプの
お調子者ではない、という。
江戸人・東京人を一言でいえば、真摯である、と
先生は言っている。
実際にところ、町内に一人ぐらいは、
落語や、芝居に出てくるような、喧嘩っ早い、
江戸っ子を振り回す人は、いたであろう。
しかし、むろんのこと、職人であっても、
ほとんどの人は、常識人である。
見栄坊は、お洒落。
宵越しの銭は持たない、は、金にきれい。
その日暮らし、と、いわれるが、
池波先生も書かれているが、一日一日を
大切に生きる、と、言い換えることができる。
そして、大都市、江戸・東京は、人が多い。
そこで暮らすためには、他人に思いやりを持ち、
ある程度の距離感を持って人に接する。
こういう気性が生まれていった。
(この距離感は、同じ歴史のある大都会、京都なども
そのようである。)
こんなことから、まわりの人や、様々なものやこと、
仕事に対しても、“真摯”である、というのが、
池波先生のいう、江戸人・東京人の本質である。
と、まあ、私なりに解釈をしている。
神田から、江戸っ子、さらに、池波先生のいう、
江戸・東京人の話であった。
この町歩きは、池波正太郎がテーマ、で、
このあたりの話をしても、なんら問題はないと
思うし、また、私とすれば、聞いていただきたい、
という内容である。
ちょっと、町歩きからは、脱線はするが、
述べた次第、で、ある。
明日につづく。
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