断腸亭料理日記2011
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NHK文化センター、断腸亭の『池波正太郎と下町歩き』
新年度4月スタート。募集中!
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江戸の地図
二週に渡るが、
引き続き、2月の『講座』。
先週は、佃から、明石町、築地とまわって、
勝鬨橋まで。
今日は、いよいよ、築地市場に入ってみる。
今でも、築地市場のことを、魚河岸、
あるいは、河岸、と鮨やの親方などは、呼んでいる。
一応のところ、築地市場の前、も書いておこう。
もとは、ご存知の通り、日本橋魚河岸。
江戸初期、最初に歩いた、佃島の漁師が、将軍様に献上した
魚の残りを日本橋付近で売り始めたのが始まりとされ、
以後、関東大震災後に築地に移転するまで
日本橋が江戸人、明治、大正の東京人達の
魚を賄ってきたのである。
「日千両、鼻の上下、へその下」、なんという言葉があるが、
たいへんに栄えた、魚河岸、で、ある。
(これは、江戸で、1日に千両、金が落ちた場所のこと。
鼻の上は目。つまり歌舞伎芝居。
鼻の下が口で、これが魚河岸。
へその下は、まあ、下世話な話、新吉原、で、ある。)
そして、現在の築地への移転。
明治期から移転問題は語られていたのだが、
ご多分にもれず、いろんな利権がからまり、
進まなかったわけである。
それが、大正12年の関東大震災により、魚河岸も
壊滅的な打撃を受けて、移転は進んだ。
じゃあ、どこがよかろう、と考えたわけである。
輸送の問題を考え、海に近いところ。
(当時はまだ、漁船が直接日本橋魚河岸に
横付けしていたのである。今でも実際に使われてはいないが
漁船が横付けできる、桟橋が築地市場にはある。)
そして、鉄道駅に近いところ。鉄道輸送も、
少しずつ、使われるようになってきてはいた。
当時の築地は明治からの海軍関連の施設があったが、
海に接し、また、汐留の鉄道駅にも近く、好都合であった。
1935年(昭和10年)当時ドイツの建築デザインを
参考に円弧を描いた機能主義的な築地市場が開設された。
築地移転に際し、大きく変わったの、それまでの組合による
自主管理から、東京市の公的管理下に置かれるようになったこと。
また、多数の卸売問屋が江戸期より軒を連ねていたが、
大筋1社(東京魚市場株式会社)に絞らせたことである。
これは江戸期から続き、産地の漁師にまで影響力があった、
問屋の大きな利権を奪うことであった、と、思われる。
しかし、移転はしたが、世の中は戦争体制、統制経済となり、
本格的な市場のスタートは戦後のことになった。
そして、戦後から現在。
前にも一度書いたことがあるが、
東京に住む、魚好き、として、
我々の口に入るまでに、魚がどう動いてくるのか、
品物の流れを書いておきたい。
漁師(養殖、海外の場合もあり)→産地の市場→
産地の卸→トラック→築地の卸(免許制で、築地の場合7社
・セリのために、きれいに並べられる。)
→仲卸(免許制)が今日のお目当てを探して、下見。
→セリ午前6時頃。セリは、卸各社によって主催され、
セリを仕切るセリ人(これも免許制)=卸の社員)。
また、セリは、扱われる商品のカテゴリーによって、
別々に開かれている。
卸は、先に、当初1社と書いたが、その後増えて
今は7社。
ここで、おもしろいのが、セリのカテゴリー。
長くなるが、書き出してみる。
全部で22種類。:合い物(半加工、半生の水産物)・エビ・
遠海物(国内でも東京から離れた沿岸で獲れた鮮魚で、
主に鮨や季節料理に使われる)・塩干魚(するめや煮干しを含む干物)・
遠洋物・干物・北洋物(北太平洋で獲れるサケ、イクラ、カニなどの
水産物で、北海道産の鮮魚、冷凍魚、塩魚などを含む)・
イセエビ・カニ・活魚・近海物(東京近辺の沿岸で獲れる活魚で、
主に鮨や季節料理に使われる)・鯨・練り製品・大物(マグロとカジキ)・
冷凍品・サメ(蒲鉾などの練り物に加工されたものを含む)・
タコ・淡水魚(ウナギを含む。多くの種は活魚として売られる)・
手繰物(サバ、イワシ、サンマなどトロール漁業で獲れるもの)・
特種物(飲食店業界向けの最高級魚。特に鮨種。)・佃煮・ウニ。
獲れたところ、あるいは、漁法などでも
分かれているのが、おもしろい。
セリは、この分類ごとに一斉に開かれる。
売るのは、7社の卸、買うのは仲卸など。
取引金額は、仲卸が全体の64%。
卸は7社と集約されているのに対して、仲卸は、900社。
仲卸は、先の22の分類ごとに、特化している、
ということからきている。
つまり、マグロなどの大物だけを扱う仲卸もあれば、
練り製品だけを扱う仲卸もある、ということ。
(仲卸は一店舗について、セリに参加する免許は一つ
というシステムで、複数のセリには、事実上参加できない。
これも各分類に仲卸が特化する原因になっている。)
セリを通さないルートというのも存在する。
これは主として、スーパーなど大手小売。
そのセリの一番高値で引き取る契約をあらかじめしておき、
品物の確保と、彼らの店舗の開店10時に間に合わせるように、
先に、納品させる。これは「先取り」と、呼ばれている。
セリ→仲卸の店舗→小売店(町の魚や)や、
鮨やの親方など(買出人と呼んでいる)が買いにくる。
→茶屋
セリが終わった後なので、6時以降。
この仲卸に買いにくるには、免許不要。
しかし、実際には魚やのおとうちゃんも鮨やの親方も、
行き付けの仲卸が決まっており、いわば、顔見知り。
制度上はお金さえ出されば、誰でも買えるはずだが、
一見さんお断りを明言しているところもあるようで、
我々がちょいと覗いて、買ってみるわけにはいかないらしい。
むろん、売買単位は箱、Kg単位であるし、
一般消費者が買える単位ではない。
また、一見で買いにいっても、高い価格を吹っかけられる
可能性も高いともいう。
こんなことで、実際には、やはり、トウシロウは
入れない世界ではあるようだ。
また、この仲卸へ鮨やの親方が買いにくる場面では、
値段の交渉はない、という。付き合いの中で決まっている。
決済も現金ではなく、月単位の掛け売り。
(これは店にもよるらしいが。)
実際に、築地の仲卸へ足を運ぶ買出人ばかりではなく、
見る必要がなければ、前の晩、電話やFAXで注文する、
という方法も一般的。
買出人はマグロだけではなく、様々な種類を買わなければならないので、
それぞれ、特化した仲卸十数軒を回る。
そして、買ったものは、その後、買出人ごとに、
仲卸から、“茶屋”と呼ばれるところに集められる。
“茶屋”とはまた、時代がかった名前だが、
お客ごとの集荷場で、それぞれの店まで運んでもらう配送業者のこと。
“茶屋”は、そもそも、潮待ち茶屋、と呼ばれていた。
これは、日本橋時代にさかのぼる。
昔は、買い手も売り手も荷は舟で運んだ。
そこで、潮を見ながら、休んだので、潮待ち茶屋と呼ばれたという。
(上げ潮だと、日本橋川を下るには下りにくい、ということだろう。)
そして、その茶屋の名前だけが残っている、ということである。
(ちなみに、先月の神田の青物市場でも、運んでくれる業者を
やはり“茶屋”というようである。)
こんなところが、築地のシステム、で、ある。
だいぶ長くなった。
明日に続く。
参考:テオドル ベスター (著)「築地」
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