断腸亭料理日記2011

日本人は海洋民族ではない?





「江戸前の魚 喰いねぇ!―豊饒の海東京湾」 磯部 雅彦 (編)東京新聞


という本を読んだ。

いや、正確にいうと、まだ読んでいる途中だが、
この本は、主として、難波喬司、という方が書いているのだが
ちょっと、おもしろい。

この方は、昭和31年岡山県生まれの、運輸官僚で
運輸省の港湾局等、務められ、
NPO「東京湾の環境をよくするために行動する会」
会員という肩書を名乗られている。

本の趣旨は、このNPOのPR。

早く言えば、文字通り、「江戸前の魚を食べて、
東京湾の環境をよくしよう!」という運動の啓蒙。

なんで、運輸官僚、その上、岡山県生まれの人が、東京湾?
と、思ったが、港湾は運輸省、今の国交省の管轄だから。
(岡山県の方は、同じ海のある瀬戸内だからか。)

「江戸前の魚を食べて、東京湾の環境をよくしよう!」
という運動には、私も大賛成。
以前からそう思っていた。
ついでにいえば、東京湾だけでなく、隅田川も、
昔の、白魚の獲れた頃に、戻したい、と思っている。

「東京湾の環境をよくするために行動する会」に
入会したいくらいである。
(いやこれは真面目に。)

で、この本、流石に官僚の方の作だけあって、とてもロジカルに
考えられ、まとめられている。
(なので、小難しく、まわりくどい。)

東京湾というのは、戦後、昭和30年代、
40年代、50年代と、まあ、私の育ってきた
時代に重なっているのだが、ご存知のように、
そうとうに汚染が進んだ。
隅田川でいえば、両国の花火大会がなくなっていた
時期でもある。

しかし、その後、下水の整備なども整い、
平成に入っては、大分きれいになった。
これは、皆さんも実感されているだろう。

しかし、あるところで、そのきれいになる度合も
今、止まっている、というのである。
これは、私も、聞いたことがあった。

『講座』で、歩いてもいる隅田川テラスなどにも
書かれている。
BOD、生物化学的酸素要求量、という、生き物が住めるかどうか
をあらわす数値も、ここなん年も、ある一定のところから、
上がっていかないようである。

行政による下水道の整備や、規制によって、
工場が汚水を流さなくなって、きれいにはなってきたのだが、
こういった行政ができることは、もう既にある
程度やり尽くしているらしい。

で、この方の論旨は、みんなが東京湾にもっと
注目し、きれいにしよう、東京湾、江戸前の魚を食べたい、
と、思うことが大事で、ある、と。

注目が集まれば、生活排水をそれぞれがきれいにしようと
考えるようになるし、海をきれいにしようというNPOの
活動などにも、例えば、企業がもっと金を出してくれたり、
とか。
江戸前の魚を獲る漁師も増えるし、、。
(魚は獲った方が循環を考えると、東京湾の場合は
いいらしい。)

結局、関心を持たないのが、今、最大の問題である、
というのが、この方達の言いたいこと。

これもまあ、なんとなく、頷ける。

じゃあ、なぜ、皆が東京湾に関心を持たないのか?。
これが、また、ちょっと、おもしろい。

様々な理由はあるが、“日本人は海洋民族ではない”から、
というのを理由の一つに挙げていた。
(この部分を書いているのは、先の難波氏ではない。
(財)港湾空間高度化環境研究センター研究主幹 
の諸星一信という方。)

これを読んで、ほう、そうか?!、
と、思い至った。

皆さんは、どう思われようか。

日本人は、海洋民族であったはず。
個人的にはそう思う。
間違いなく、私個人は、今でも、海洋民族である。
山よりも、海の方が好きだし、
ダイビングをするし、山登りは、苦手である。

むろん、魚は大好き。

しかし、この本にも紹介されているが、東京湾で、
アマモという海草を植える活動をしているNPOがあるが、
これは、結構珍しい例。一般に、里や林、農地、山、を守ろう、
という、運動はよく聞くが、海を守ろうという活動は、
圧倒的に少ないように思われる。
(有名なのは、沖縄のサンゴ礁ぐらいではなかろうか。)

確かに、今の日本人は、海よりも陸の方に、より興味を
持っていると、いってよいような気はする。

しかし、元々の日本人、いや、東京人、江戸人は、
山や里、畑よりも、海、魚の方が、身近であったのでは
なかろうか。

江戸の頃といわず、最近まで、東京の文化は
そうだったように思う。

初鰹に、なん十両も出すが、初物の野菜に、
いくら出す、というのは、実際にはあったかもしれぬが、
あまり、言葉としては、残っていない。

魚河岸のアニイと、と、やっちゃば(青物市場)のアニイと、
どちらが格好よかったかといえば、
まず、間違いなく、魚河岸、で、あろう。
これは、江戸・東京の文化とすれば至極当然であろう。

まあ、江戸の頃は、肉食をあまりしなかったので、
野菜よりも、タンパク源である、魚の方が、価値があった、
ということもあるかもしれぬ。
だが、しかし、それだけではないだろう。

江戸前の魚で鮨も生まれたし、天ぷらも花が咲いた。

食べるだけではなく、潮干狩りだったり、
ハゼ釣りだったり、江戸湾、東京湾は江戸人、東京人に
ごく身近な娯楽の場でもあった。

そういう意味において、海洋民族であったはず、で、ある。

なぜ、そうでなくなったかは、もう、ひとえに、
護岸ができ、埋め立てが行われ、川もそうだが、
東京と、東京人から、海が奪われていったから。

やっぱり、江戸人の末裔として、
東京人として、江戸前の白魚を食べたいではないか。

日本橋の上に、日が当たらないのと同様、
今の、東京湾のままにしておくのは、
『先祖の助六に、申し訳が立たない』と、私は思う。

(私も、この運動に、参加しよう。)








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