断腸亭料理日記2010

池波正太郎と下町歩き11月 その6

さて、NHK文化センターの講座「池波正太郎と下町歩き」11月。
2週に渡ってしまったが、虎ノ門から新橋と歩いてきた。
新橋駅前烏森の花柳界から、東山の金さんの屋敷跡まで見てきた。






現代の地図


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江戸の地図(愛宕下・芝口方面)

江戸の地図(銀座南・木挽町方面)


さて、金さんの屋敷跡から、次は日比谷神社へ。
先に見てきた、烏森神社と並んで、新橋の鎮守で
烏森と隔年で神輿の出る本祭りを行っている。

これはどこにあるのかというと、江戸の地図「愛宕下・芝口方面」を
見ていただくと、日影町通り沿い、現新橋駅と書き入れた枠の南にある。
ここは現代ではちょうど、JRのガード下あたりか。

じゃあ、今はどこにあるのか。
今度は現代の地図を見ていただくと、
JRの南、第一京浜の東側沿い、にある。

江戸の頃の位置から動いている。
実は、今のところに動いたのは、数年前で、
その前はまた別のところ(新橋4丁目)にあった。
(ここは今、環状二号線=マッカーサー道路が建設中。)

第一京浜を渡って向こう側。
白木もまだ真新しい日比谷神社が見える。
境内も社殿も小さなもの、で、ある。
烏森神社同様、お稲荷さん。
日比谷稲荷。

新橋なのに、なぜに日比谷か?、
疑問に思われよう。

これは、江戸開府以前、現在の日比谷公園に
大塚山という山がありそこから移されたものという。

江戸の頃は、なぜだか、鯖稲荷と呼ばれ、
ここに願をかけ、魚の鯖を立つと虫歯、虫封じに効くといわれた、
と、いうことである。(不思議なもの、で、ある。)

ここから、第一京浜沿いを銀座方向へ歩く。

JRのガードをくぐって、ゆりかもめもくぐる。

左側に新橋駅前ビル1号館。
この二階に例の、ビーフン東、が、ある。

右側はヤクルトビルがあり、その向こうは
汐留シオサイト。

交差点までくる。
交差点の名前は、新橋。

江戸の頃の地図では芝口。

ここの交差点銀座側、江戸の頃からの続く老舗が二軒。
一軒は東側、天ぷらの橋善。

芝口一丁目1831年(天保2年)創業の天ぷらや。
巨大なかき揚げが名物で、つい数年前まで営業していたよう。
明治の頃、天ぷらといえば、橋善と銀座・天金(池田弥三郎生家)、
浅草・中清であったという。現在、ビルの名のみ。

西側には、玉木屋。これは今も交差点角にある。

佃煮、煮豆の老舗。1782年(天明2年)創業。
黒豆の煮豆、座禅豆が創業以来の名物。

ちょいと、断腸亭・永井荷風先生のものを引用させていただく。

『阿(お)歌芝口玉木屋の味噌佃煮を贖(あがな)ひ来る。
余十年前築地に仮住居せし頃には日々玉木屋の煮豆味噌などを
好みて食しぬ。この日たまたま重ねてこれを口にするに、
その味十年前と更に異る所なし。玉木屋はさすがに江戸以来の
老舗なる哉。何年たちても店の品物を粗悪にならざるは、
当今の如き余にありては誠に感ずべきことなり。』
(永井荷風・断腸亭日乗、昭和三年二月初三)

お歌さんというのは、当時のなん人目かの愛人。

下見時に、ここで、創業以来の名物という、その座禅豆
なるものを買って、食べてみたが、これはうまかった。

荷風先生は、別段食道楽ではなかったが、
この記事は、当てにしてよいだろう。

交差点は渡らずに、昭和通りを右に。

と、すぐに右側に汐留シオサイトのビルと
石造りの建物が見えてくる。

この石造りの建物が、文明開化の頃、
新橋、横浜間に開業した岡蒸気の始発駅、
新橋ステーション=新橋停車場を復元したもの。

中は、居酒屋と展示室。
そして、ほんの短い当時のホームなども復元されている。

・旧新橋停車場(汐留シオサイト)
江戸開府以前は葦の生い茂る海辺。江戸開府に伴って埋め立てられ、
脇坂淡路守播磨龍野藩、松平(伊達)陸奥守陸奥仙台藩の
上屋敷になった。明治に入り、1872年(明治5年)、
新橋横浜間に鉄道が開業。その日本最初の鉄道ターミナル駅
として新橋停車場が開業した。アメリカ人建築家の設計による
石造りで同時にできた銀座煉瓦地に向かって威容を誇っていた。

再開発に伴う発掘調査で、駅の遺構が史跡として指定され
鉄道発祥の地として1998年(平成8年)駅舎が再建された。

・汐留駅
東京駅の開業とともに、1914年(大正3年)新橋駅は
旅客機能は烏森駅にゆずり、以後は汐留駅として
貨物専用駅になった。その後、戦前戦後、貨物駅として
汐留駅は東京の物流を担ったが、1986年(昭和61年)
国鉄民営化を機に廃止。

・汐留再開発〜汐留シオサイト
その後、再開発が始まるまでは東京ルーフなど、
イベント会場として使用されたが、バブル崩壊で
買い手が見つからずしばらく放置状態であったのは、
記憶に新しい。
1995年(平成7年)再開発が決定し、旧新橋駅や、
仙台藩上屋敷跡が発掘される。
2002年(平成14年)汐留シオサイトと命名され、
大江戸線、ゆりかもめの汐留駅開業。
その後、電通本社、日本テレビ、ホテルビラフォンテーヌ、
コンラッド東京、パナソニック電工東京本社ビルなどなどが
開業している。

この展示で、ちょっと、おもしろかったのは、
発掘された遺物にあった、小さく簡素な土瓶。
(「峠の釜めし」の、釜のような素焼きに近いもの。)

以前の汽車旅で、駅弁とともに飲むお茶に
使われた土瓶である。今は車中のお茶もペットボトルに
なっているが、その前は、プラスチックの半透明な容器に
ティーバックを入れたものであったのは、私も憶えている。

この土瓶のお茶はその前のもの、であろうか。

といったところで、今日はここまで。
もう一息の、お付き合いを。









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