断腸亭料理日記2010

五反田・焼きとん

6月2日(水)夜

19時、五反田で仕事終了。

なん度か書いているが、当社は五反田にも
事業所があり、平均すれば、月に一回程度は
来ている街、で、ある。

同年代の同僚、私を入れて男三人で、呑もうか、
ということになった。

ぶらぶら歩いて、西五反田二丁目。

どのあたりかというと、JRの五反田駅の西口、
(駅の山側でなく、目黒川側)を出て、右。
桜田通りを渡ったJR線路際の一画。

ご存じの方は、ご存じ、であろうが、
この一画は、昔からのラブホテル街。

さらにその昔は?

以前にも引用させていただいたものだが、
加藤政洋氏『花街』から再録。

〜〜〜〜

「鉄道(山手線)と目黒川に挟まれた一画」で昭和期には「城南の花街中、

近時異常の殷盛(いんせい)を極めてゐる」(松川二郎『全国花街めぐり』

加藤政洋『花街』より孫引き)とされ、1943年(昭和18年)の記録では

待合(待合茶屋。いわゆる芸者さんを呼ぶ貸席。)が71軒あったという。

(加藤政洋『花街』より)

〜〜〜〜

一般に今、花街といえば、京都の祇園やら、東京なら赤坂、
神楽坂、新橋のような、政財界の要人、大作家などが使ったもの
というイメージかもしれぬが、そこはそれ、花街にも
上から下まであったわけである。
(当時の五反田は東京郊外、新興の工場地帯であろう。)

「鉄道と目黒川に挟まれた一画」が桜田通りの目黒側か
東急池上線側だったのか、私は正確な情報を持っていない。
しかし、広くこの界隈とみてよいような気もする。

ともかくも、戦前から「異常の殷盛(いんせい)を
極めてゐ」たような、まあ、お世辞にもきれいな
環境ではなかったのであろうと、想像できる。

それでも、最近は、高層ビルやらも建っており、
すこーし、変わってはきているのか。

いや。
まだまだ、あるいは、昔とはまた別の?
ディープな雰囲気を持っているところであろう。

その目黒寄りの一画、線路際から一本、目黒川寄りの路地。
この路地は、とてもよく歩くのであるが、
夏になると、どうも誘われる店がある。

なにかというと、数軒ある焼きとんや。

初夏の今、昼間は日が出ていれば、だいぶ気温も
上がるが、夕方になると、さわやかな風が吹いてくる。
まさに、焼きとんの季節、で、ある。

道にまで、煙がもうもうと出ている。

三人で、そのうちの一軒に入ってみる。
(店名は王子の回同様、あえて書かない。
駅に向かって右側の角の店である。)

三人とも、五反田がローカルではないので、
私も初めてだが、連れ二人も初めて入る店。

(以前は当社もここ五反田に工場があり、
工場現場の人々は、このあたりで呑んでいたのであろう。
工場を閉めて、高層のビルに再開発し、中にいる人間の種類も
大幅に変わっている。このため、今の五反田在勤者は
あまりこのテの店にはこないのではなかろうか、
とは思われる。)

店内は、さほど広くはないが、盛大ににぎわっている。
カウンターに一人客もいれば、テーブルも満席。
それでも、ちょうど、運よく出るグループがあり、
(相席だが)座る。

まずは、レモンサワー。

ここの仕組みは、テーブルに大きなざるが置かれ、
そこに氷がドサッと入っており、
コップに入った焼酎と大きなグラス、
レモン味のサワー(ハイサワー)がくる。
コップの焼酎は二杯分くらいにはなりそう。
勝手に混ぜて、作る。


瓶入りのハイサワーなどというもの、
最近あまり見ていなかったが、よい感じ、で、ある。

はやそうなところで、そら豆、塩らっきょ。


焼きとんは、盛り合せのようなものがないか聞くと、
あるとのことで、10本くらい。
それから、揚げものもあるので、玉ねぎフライ。

ここのよいのは、立ち働くお兄ちゃん達。
若く、街で見かけたら、ちょっと、ヤバそうな
感じもあるが、なにか頼むと、返事もよいし、
実に機敏に動いており、気持がいい。

この店の特徴なのか、五反田のカラーなのか、
わからぬが、やはり、焼きとんやなどでは、
こうでなければ、と、思わせる。

焼きとんがきた。


これがまた、よい焼き加減で、うまい、
のである。
また、玉ねぎフライも揚げ立て、ほくほく。
あまくて、うまい。

レモンサワーも進む。

牛筋のトマト煮込み。


ちょっとお洒落な感じもするが、うまい。

マグロ皮のぽん酢。


ポテトサラダ。



結局、レモンサワー、6杯。
(オーダーとすれば、3回分。)

そうとうに酔っ払った。

勘定をし、皆で、ぶらぶらと、帰る。


元来、私の育ちのせいか、
小洒落たところで呑むよりも、
実質本位で、むろん味もよい、
活気があって、テキパキとしたこんな店の方が、
どれほどよいかと、思うのである。

五反田というところ、最初に、環境がよくない、
などと書いたが、もちろん、これはわるぐち
ではない。

今、私は、浅草に住んでいるし、過去、葛飾の四ツ木にも
住んでいたし、アイデンティティーとすれば
やっぱり下町、で、ある。

昔の東京下町は、神田、芝、浅草、であった。
今は、中心部はオフィス街になり、
東に、北に、東北に、そして南に広がっていった。

南では、蒲田だったり、あるいは、ここ五反田も
そういってよい、のかもしれぬ。

こういところで、会社や仕事の愚痴ではなく、
他愛もない、馬鹿話をするのは、なによりの、
心の解放、と、いうもの、で、ある。









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