断腸亭料理日記2010

池波正太郎と下町歩き7月 その1

7月17日(土)

さて。

NHK文化センターの『講座』、「池波正太郎と下町歩き」。
4月から始めて、5、6、と三回終わり、
今回が、4回目。

NHK文化センターという、いわゆるカルチャースクールだが、
内容は、座学、ではなく、現地講座と、NHKではいっている。
実地に現地、池波先生、または、作品縁(ゆかり)のところに
出向き、歩く。そして、先生縁の飲食店で、皆さんと食事をする。
まあ、そんな形のもの。

1回目が浅草で、うなぎやの駒形、前川。
2回目は神田で、末広町の和食、花ぶさ。
3回目は日本橋で、洋食のたいめいけん。

といった具合に、回を重ねてきたが、今回は、
本所深川。
両国駅集合で、かの本所二つ目橋、あるいは、弥勒寺などを
まわり、森下の桜なべ、みの家、ということにした。

池波ファンであれば、本所二つ目といえば、
いわずと知れた、軍鶏鍋や、五鉄。
弥勒寺は、平蔵の放蕩無頼の若かりし頃からの
古馴染みでもある、お熊婆さんのいる茶店笹屋が、
門前にある。

森下界隈で、みの家、という選択は、多少違う、
とも思っていはいた。
本来であれば、もう少し南のどぜうや、
高橋の伊せ喜の方が池波先生の馴染み、とすれば
深い、と、思われる。しかし『講座』の半分は女性で、
どぜうの丸鍋よりは、まだ、桜なべの方が、
よかろうと、考えたから、で、ある。

さて。

11時、両国駅改札外集合。
今日も暑そう。
今月の恰好は、浴衣でと、決めていた。
浴衣もなん枚かあるが、かまわぬ、の柄。
かまわぬ、は、ご存知のように、鎌の絵、輪の絵、
ぬは“かな”のぬ、これで、かまわぬ、と読むという判じ物。
まあ、洒落。もともとは、歌舞伎の市川團十郎家の
柄で、贔屓衆へこの柄の浴衣地の反物を、配ったもの。

暑いので、麦わら帽子でもかぶろうかとも思ったが、
やはり、これでは、いかにも素っ頓狂。
内儀(かみ)さんにもやめろ、と、いわれ、思いとどまる。
足元は、素足に下駄。

出がけに、帯をちょいと迷い、出るのが
遅れてしまった。

両国駅まで、タクシー。

着いたら、5分前。
皆さんにも心配をかけてしまった。

さすがに、今月は、25人のところ、20人。

ご挨拶をし、始める。


より大きな地図で 断腸亭の池波正太郎と下町歩き7月 を表示

江戸の地図も。(堅川の北)


まずは、両国駅。

1904年(明治37年) 、私鉄の総武鉄道の始発ターミナル、
両国橋駅として開業 (当時は佐倉まで)。明治40年国有化。
昭和6年、駅名を両園駅に。昭和7年、お茶の水駅までが開通。
現在の駅舎は昭和4年建築のもの。

と、いうことで、以前は、総武線はここ両国が始発。
また、駅名も当初は、両国ではなく、両国橋、であったということ。

上の、江戸の地図では、両国駅は、御竹蔵と書かれているところの
南端のあたり。

で、御竹蔵。
これは、竹蔵、といっているが、実際には、対岸の蔵前、
幕府の浅草御蔵と同様、米の蔵であったという。
地図に、入り堀が見えるが、これは明治以降も両国橋駅の貨物輸送と
隔田川の水運とを連絡していた。明治になり陸軍の被服廠本省となる。

で、今はご存知、両国国技館と、江戸東京博物館。

ここまで説明し、出発。

最初に向かう先は、芥川龍之介生育の地。
これは、京葉道路沿い、ホカ弁やの前。

碑が建っているだけであるが、文豪の育ったところという。
本所、両国縁作家といえば、まず第一に芥川先生だろう。

ここから、両国橋方向に向かう。

のであるが、道の向こう側に注目をしてもらう。
ちょうど、この芥川の碑の斜め向かいに建っている、
古い石碑である。

下見にきた時にこれは発見した。
この地域、戦災の影響がひどかったのであろう、そうとうに、
ぼろぼろになり、金属で補強されているようなしろもの。

なんの碑かというと、かの吉良邸のあった、本所松坂町。
この由緒ある町名がなくなる時に、建てられたもの。
ところの人々が、この町名がなくなることに反対をしたので
あろう。当時の東京市長の名前で、ここに本所松坂町が
あったことを記録する、というようなことが記されている。

今から考えれば、こんなものを建てずに、
町名を残せばよかったのに、と、思わずにはいられない。
公(おおやけ)によって、江戸の記憶を塗り潰してきた歴史、
ということができよう。

時間の関係で、向う側には、いけないので、
こちら側から説明。

ここからは、両国橋を目指す。

駅前からきている、両国二丁目、シアターX(カイ)前の
信号が青になっていたので、ここで、京葉道路を渡る。
当初の予定は、もう少し先で、と、思っていたのだが、
京葉道路を渡る信号は、青の時間が短い。
よって、渡れるところで、渡ったしまおう。

渡って、右、両国橋方向。

と、すぐに、本所回向院の山門。
段取りでは、後のはずだったが、ここで回向院の説明。

暑いので、皆さん、山門の日陰に。

本所回向院。

明暦の大火の焼死者を葬った塚がはじめ。諸宗山無縁寺田向院。
あらゆる宗派だけでなく 人、動物すべての生あるものを供養する
という理念から、ペットの墓も多数ある。
南千住にも 回向院はあり、こちらは両国の別院。
小千住小塚原の刑死者を弔うために創建された。

と、いうことなのだが、境内に入るのは、後回しにし、
続けて、隣の説明。

シアター X(力イ)、旧両国国技館。

現在は 1991年オープンの劇場。
旧両国国技館は、それまでの回向院境内での「回向院場所」から、
初代、1909年(明治42年)竣工。それまでの小屋掛けからから
史上初めての常設の相撲場所となる。 その後、火事、戦災で
二度に渡り焼失。戦後、1950年から蔵前ヘ。
1985年から現在の両国国技館へ。

と、いうことで、長くなった。
つづきはまた明日。









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