断腸亭料理日記2010
2月24日(水)昼
さて。
またまた、日帰りの、京都出張。
13時に、神宮丸太町付近にいればよい、
と、いう予定。
今日は早めに着いて少し、京都の街を
歩こうと、考えた。
8時50分ののぞみに乗って、11時すぎ、京都駅着。
目的地が、神宮丸太町付近なので、
昼飯は、あのあたり。
で、どこから歩こうか。
京都御所も近いので、少し視たいし、
地下鉄の丸太町駅からか、あるいは、
その前の、烏丸御池か。1時間程度は歩ける。
いっそのこと、四条烏丸から、歩こうか。
四条烏丸駅を降りて、地上に上がる。
烏丸通を上がってもよいのだが、
ここは、前にも歩いたことがある。
やっぱり、路地を歩こうか。
一本目の錦小路通に入り、さらに一本目の
東洞院通を上がってみることにする。
このあたりは、たまに町家もあったりはするが、
基本は繁華街の裏通りという感じであろうか。
蛸薬師、六角、と、くると、通は、広くないのだが、
いきなり、東北の角に、レンガ造りの建物が現れた。
中京郵便局、と、書いてある。
この通はなんだ?
曲がってみよう。
と、しばらく歩くと、左側にまた
もっと大きなレンガ造りの建物が現れた。
これは?
京都府の博物館だ。
案内の標識が出ている。
見ると!
おお、ここが、三条通だ。
なになに?
「三条通の新町通から寺町通の一帯は
京都市の「界わい景観整備地区」に指定されてい」る、か。
最初のレンガ造りの郵便局は「旧京都郵便電信局」、
1902年(明治35年)竣工、とのこと。
大きい方は、「旧日銀京都支店」、
1906年(明治39年)竣工、重文。
さらに説明を読むと。
もともとは、京都は、江戸の頃から、
東海道につながる三条通が栄えていた。
その後、烏丸通と四条通の幅が広くなり、
四条烏丸、河原町あたりが栄えるようになった、
と、のこと。
なるほど。
そうであったか。
もともとは、通の幅は、みな細かったのか。
そして、三条通。
昨年、粟田口から、青蓮院あたりを歩いた。
粟田口が、三条通で、東海道、中山道の起点と、
いうのは、わかっていたのだが、そのまま、
京都市街に入った、三条通が、やっぱりもともとは
栄えていたのか。
小膝を打つ思い、で、ある。
しかし、江戸、東京と比べると、
京都は道が狭いまま、建て込んでいるところに、
こんなレンガ造りの洋館を建てた、というのは、
驚き、ではある。
東京でいえば、今の日銀本店の古い建物の前。
日本橋本石町、外濠通りがあり、日本橋川、
常盤橋が掛っている。
この場所の、明治の頃の正確な道幅はわからぬが、
さほど狭くはなかったのではないかと想像する。
江戸の町は、狭い路地もむろんあろうが、
火避地といわれるようなスペースやら、大きな濠や、堀もあり
広小路とよばれるところもあった。
これは、やはり、公家や町衆の街、京と、
武士の作った百万都市の城下町、江戸との
違い、なのではあろう。
しかし、考えてみれば、京都は戦災にもあっていないので、
明治の建物も残っている(むろん、それ以前からあるが)のは、
あたり前、で、あるが、三条通がそうであったのは、まったく知らなかった。
博物館の角を左に曲がり、上がる。
今度は高倉通。
やっぱり、町家がちらほら。
おもしろいのは、町家でも
なにも商売をしていなそうな、いわゆる仕舞屋(しもたや)
もあれば、畳やさん、和菓子やさんといった、
和の商売もあれば、町家なのに(?)戸をはずして、
鈴なりにオートバイを並べている、オートバイ店、
なんというのもあったりするところ。
(それはそうであろう。京都とはいえ、
現代に生きる街である。いろんな商売はあろう。)
御池通にあたり、渡る。
予想はしていたのだが、ここまで歩いて、
汗が噴き出してきた。
二月とは思えぬ気温である。
コンビニで冷たい缶コーヒーを買って、一休み。
今度は間之町通を上がる。
(なんと読むのかと思ったら、アイノマチ、のようである。)
町家がちらほらある町並みは、あまりかわらないが、
静かな住宅地になっていく。
丸太町通が見えてきた。
御冠、烏帽子、なんという看板を掲げている店がある。
さすがに、御所のそばか。
丸太町通を渡り、門があり、京都御所、、
かと思うと、看板は京都御苑。
管理は、環境省。
御所の周りは、公園ということだからであろう。
門を入るとすぐ右に、建物がある。
なんでも、九条家の茶室で拾翠亭(しゅうすいてい)
と、いうよう。
庭が見事。
建物に入ることはできないが、数寄屋造りなそうな。
橋を北へ渡ると、遥かかなたに、門と大きな黒い屋根が見える。
あれは、京都御所。
時間がないので、そのまま東へ。
木陰があると、いくらか涼しい。
コートはむろん手に持っているが、汗だく、で、ある。
京都御苑を出て、丸太町通をさらに東へ。
河原町通を渡り、丸太町橋も渡る。
橋から東山を眺めると、一番左に少し色の違う山が見える。
よくよく見ると、「大」の字。
私はまだ見たことはないが、これが送り火の、大文字の山、
で、あろう。
ふう。
やっとついた、目的地、神宮丸太町。
ここにある、老舗の鶏料理の店。
八起庵。ここにしよう。
軍鶏の丼。
ようは親子丼。
2500円。
よい値段、で、ある。
鶏のスープがでた。
濃厚で、うまい。
これが軍鶏の丼。
有精卵三個を使い、京都名物黒七味に、
吟味をした山椒を振ってあるとのこと。
食べると、そうとうに、スパイシー。
食感から、実際に軍鶏を使っているようには、
感じられる。
食べ応えもあり、
やっとおさまった汗が、また噴き出す。
が、うまかった。
時間も押している。
ご馳走様でした、おいしかったですと、
勘定。
またまた小走りに、目的地へ。
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