断腸亭料理日記2010

池波正太郎と下町歩き8月 その1

夏休みやら、その記事やらで、だいぶ時間が経ってしまったが、
NHK文化センターの講座、『池波正太郎と下町歩き』の8月分を。

8月21日(土)

さて、4月から始めてきた『講座』も今回で5回目。
第一回、浅草(駒形・前川)、から、二回、神田(花ぶさ)
三回、日本橋(たいめいけん)そして、前回の四回目が、両国〜森下(みの家)

下町歩きと池波先生行き付けの店という『講座』、で、ある。

今回は、銀座で、店は、有楽町の広東料理「慶楽」。

池波先生と銀座の町は切っても切れなかった。
おそらく、先生行きつけであった店を数えると、
銀座が最も多いであろう。

「下町歩き」という意味で銀座は多少の違和感もある、
かとも思われるが、山手ではなかろうし、東京一、いや、
日本一の繁華街。その歴史は知っていてもよいだろう。

今、銀座は中央区。
その前は、京橋区。
(地域的にいえば、京橋区は京橋と銀座、築地など。)

京橋の南、新橋の北、有楽町・日比谷の東、築地の西。
南北に中央通り(銀座通り)、東西に晴海通りが
通っている。

ここ数年は、欧米の超有名ブランドの路面店が軒を連ね、
外国人、特に中国人達の買い物客が大挙して訪れているのは
ご存知の通り。

集合は、銀座ではなく、京橋。
11:00、明治屋前。

今日の私の恰好は、小千谷縮(麻)の着物。
黒の絽の羽織を今日のために、寸法を直しておいたのだが、
酷暑のため、やめた。
襦袢に着物、足元は素足に下駄。

今回のコースは、銀座の入り口から歩こう、ということで、
京橋駅上、明治屋にした。

拙亭からは、銀座線稲荷町駅から京橋駅で、15分ほど。

京橋の明治屋ビルは、皆さんご存知であろう。
古いビル。

この京橋界隈は、少し前までは、戦前に建てられた、
こうしたモダンなオフィスビルがいくつも残っていた。
例えば、明治製菓の本社ビルなどがそうだが、軒並み
建て替え、再開発がここでも進んでいる。

明治屋ビルは、1933年(昭和8年)、株式会社明治屋の事務所と
店舗を兼ねた本社社屋として建設。鉄骨鉄筋コンクリート造
(地上8階・地下2階)。イタリア・ルネサンス様式。
地下鉄駅と連結させた現存最古のビル。区指定有形文化財。

と、いうことである。

明治屋は、1885年(明治18年)横浜で創業。

今、MYジャムというのが、一般には知られている製品であろう。
この他に、ホワイトマッカイなど洋酒の輸入など。

意外に知られていないかもしれぬが、今のキリンビールは
1907年(明治40年)麒麟麦酒株式会社として、明治屋から設立、
キリンビールは明治屋から生まれているのである。

明治屋から中央通り沿いに、鍛冶橋通りを渡って、
銀座方向へ。

銀座北部の江戸の地図。


現代も出しておこう。



より大きな地図で 断腸亭の池波正太郎と下町歩き8月 を表示

京橋と銀座の境。
上に首都高が走っている、京橋川跡。
中央通りの橋が、京橋。

京橋ができたのは、日本橋同様、江戸開府直後。

この京橋跡付近には、いくつかの記念碑、
モニュメントの類がある。

まずは、銀座に向かって、京橋の北詰右側。
ここに二つの石碑がある。

まずは、江戸歌舞伎発祥の地、の碑。

・江戸歌舞伎発祥の地
1624年(寛永元年)、猿若(中村)勘三郎(初代)が江戸中橋で
太鼓櫓をあげたのが、江戸歌舞伎の発祥。
場所は『中橋南』とあり、京橋川のこのあたりに架かっていたのが中之橋。
一説には、ここではなく当時あった、日本橋と京橋の中間
(今の東京駅からの通りと中央通りの交差点付近)の掘割に
架かっていた中橋では、ともいう。
(この頃は、銀座よりも日本橋寄りの方が栄えていたため、
おそらく、ここではなく日本橋側が正しいのではないかと思われる。)

中村勘三郎は京の生まれ。当代、十八代目勘三郎に続く家の初代だが、
役者であり小屋の主、興行主でもあったのは、勘三郎家のみ。
(市川団十郎家なども役者の家ではあるが興行主は別。)

太鼓櫓は公に許されている小屋しかあげられなかった。
これは三つあり江戸三座と呼ばれ、中村座以外は市村座、
森田座。(控え櫓として河原崎座。)

(歌舞伎については、この銀座界隈でも木挽町の方が、縁は深い。
またの機会に。)

そして、この北詰西側の河岸は大根河岸と呼ばれており、
文字通り、青物市場があったところ、東側は竹河岸。

歌舞伎発祥の地の碑の右手に、京橋大根河岸青物市場跡の碑がある。

・京橋大根河岸青物市場跡の碑
1662年(寛文2年)創設。明治に入っても市場は続き、震災までここにあった。
運搬用に毎日牛車が集まり、銀座一丁目は蝿の名所であったという。




・京橋竹河岸
京橋の北東岸は竹河岸と呼ばれ、竹を商う竹問屋が軒を連ね、
川に面して、竹が立てられた竹林のような広重の絵
『京橋竹河岸』も残っている。竹がびっしりと立て懸けられ、
風が通らず、竹河岸は夏は暑い、などと、いわれたという。


といったところで、もう既に、汗だく。

今日はここまで、つづきはまた明日。









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