断腸亭料理日記2009
さて。
一昨日配信分、国立博物館で行なわれている、
「皇室の名宝」の事を書いたが、これで
書き残した「悠紀・主基地方風俗歌屏風」のこと、興味深かったのであるが、
そこから考えたことを、少し、書いてみたい。
この「悠紀・主基地方風俗歌屏風」というのは、
主展示とは別に展示されてあったもの。
そもそも、今回のこの展示は、今上天皇陛下の御即位二十年記念
ということで開かれている。
調べてみたら、来月、記念切手なども発売されたり
一昨日書いた、宮内庁管轄の「三の丸尚蔵館」でも特別展示が今、
行なわれている。(こちらの方は、即位の礼関連の記念の品など、
もう少し、天皇陛下に身近なものの展示のようである。)
平成になってもう、20年がすぎたのか、という
思い、ではある。
私が社会人になったのが、昭和61年。
平成は私のサラリーマン生活とほぼ同じ長さ、で、ある。
で、「悠紀・主基地方風俗歌屏風」とはなにか。
(悠紀・主基は、ゆき、すき、と、読むらしい。)
その来月発売される記念切手にも「悠紀・主基地方風俗歌屏風」
があるようで、その説明を転記してみる。
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「悠紀・主基地方風俗歌屏風(ゆき・すきちほうふうぞくうたびょうぶ)」
悠紀地方(右隻) 主基地方(左隻) 「悠紀・主基地方風俗歌屏風」は、
御即位に際して行われる「大饗の儀」において、饗宴の場を飾る屏風です。
悠紀地方は京都より東方の地、主基地方は京都以西の地をいい、
具体的な土地については、御即位の礼のたびに選ばれます。
今上陛下の御即位の際は、悠紀地方は秋田県、主基地方は大分県に
決定しました。東山魁夷(ひがしやまかいい)氏が悠紀地方の屏風を、
高山辰雄(たかやまたつお)氏が主基地方の屏風を担当し、それぞれの画家が
各県下の四季の景勝地を描き、四季の情景に対応する和歌は、
悠紀地方を窪田章一郎(くぼたしょういちろう)氏が、
主基地方を香川進(かがわすすむ)氏が詠進揮毫しました。
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と、いうことらしい。
参考に、その屏風を撮影した、ブログのリンクを記す。
http://d.hatena.ne.jp/jfo1501/20091005/p1
また、この説明に出てくる言葉がわからないが、
順番に、みていこう。
即位の礼、は、まあ、即位の儀式であったのだろう。
その後の「大饗の儀」。
大饗、は、訓読みすると、オオアエ、あるいは、そのまま音読みして、
ダイギョウ、でもいいらしい。
オオアエ、なんというと、どうも、古代日本語の
においがしてくる。
宮内庁のホームページにさらに、この大饗の儀の説明があったので、
これも転記してみる。
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大饗の儀
大嘗宮の儀の後,天皇が参列者に白酒(しろき)・黒酒(くろき)・
酒肴を賜り,ともに召し上がる儀式
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ははー。饗、ということで、儀式ではあるのだが、参列者である
国民の代表への披露宴のようなもののようである。
しかし、さらに、わからない言葉が出てきている。
大嘗宮の儀?
大嘗祭(だいじょうさい)は私も言葉は知っている。
天皇陛下は毎年、田植えをされて、その収穫を神に供える。
これを新嘗祭(にいなめさい)という。
(実際に今上天皇も田植をされ、田植をされるのが報道されているのは
昭和天皇から。それ以前、儀礼として行なわれてきたのかは私は情報を
持っていない。また、収穫を供えるのは、各地から献穀されたものが主のようである。)
これは、ある程度皆さんもご存知かと思われる。
そもそも、大和以前、邪馬台国、などまでさかのぼれるのだろうが、
日本の国は(日本に限らず、古代国家は多かれ少なかれ、)祭政一致
の体制であった。
稲作を主産業とする我が国の長(おさ)である天皇は、
同時に祭祀(さいし)も司(つかさど)る神官でもあり、
代表して、神に稲の豊作を祈り自ら苗を植え、
また、採れた米を供え、収穫を神に感謝をする。
1600年たった、今でも、こうした儀礼として
21世紀の我が国の国家元首である天皇が行なっているのである。
これは、意外に、自然に皆さん受け止められるであろうが、
考えてみれば、すごいことである。
まさしくこれが民俗、で、ある。
ともかくも、その新嘗祭の内の、即位された年に行なわれるものを
大嘗祭というわけである。
また、この大嘗祭そのものが、毎年の収穫の感謝だけでなく、
実際に、天皇として、国家の祭祀を司る、神官としての地位を
祖先の天皇霊から受け継ぐ儀式、という位置付けになる。
(これは、深夜から明け方に行なわれ、実際にどんな儀式なのかは
詳細には公開されていない。深夜というのが、イカニモ、
ではある。)
で、その大嘗祭が行なわれる建物が、大嘗宮。
ついでに、大饗の儀の説明にあった、白酒、黒酒についても、
辞書から、説明を写してみる。
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白酒
新嘗祭(にいなめさい)や大嘗祭(だいじょうさい)などで、
黒酒(くろき)とともに神前に供える白い酒。醸造にあたり、
クサギの焼き灰を加えないものをいう。
黒酒
新嘗祭(にいなめさい)や大嘗祭(だいじょうさい)などで、
白酒(しろき)とともに神前に供える黒い酒。甘酒にクサギの
焼き灰を入れて黒くしたもので、室町時代には黒ごまの粉を
入れたものを用いた。
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シロザケ、ではなく、シロキ、クロザケではなく、クロキ、というのも
古代のにおいプンプン、ではないか。(クサギは?と、まだ疑問が続くが
あまりに脱線するので、これはここで止めておく。)
まあ、ようは、甘酒、なのか。
で、この「悠紀・主基地方風俗歌屏風」はその神聖な即位の儀式後の
宴会で飾られるもの、ということまで、わかった。
次に「悠紀・主基」なるもの。
一番最初の、切手の説明によれば、国内東西二箇所、の県(以前は国)、
が選ばれる。東が悠紀、で、西が主基。
実際には、これも古代から行なわれている占いによって、選ばれた国に
さらに、斎田(さいでん)という、大嘗祭に使われる稲、米を栽培する
田んぼが選ばれる。そこで、様々な儀式を行いつつ、稲が育てられる。
(古代の日本は、祭政一致と、先に書いたが、占いも、政治に多用された。
お聞きになったことがあるであろうか。クガタチ、フトマニ、なんというもの。
例えばフトマニは、動物の骨や亀の甲羅を焼いて、割れ方、
ひびの入り方で物事の吉凶を占う。
古代大和でもこういうもので政治をおこなっていたのである。)
悠紀・主基は、国の代表であるから、東西二箇所なのであろう。
(しかし、なぜ、東が悠紀、で、西が主基なのか。
この語源は、なにかまた、ありそうである。
が、これも深そうなので、置いておいて、先に進む。)
で、その採れた米をそれぞれ、悠紀殿、主基殿という建物まで作って
神に供える。
それで、やっと、屏風の説明になるのだが、
それぞれの地方の風俗、まあ、四季の景色を東山魁夷先生など、
当代一の日本画家が、古式ゆかしい大和絵に描き、同時にその絵に
歌人がその地方を詠んだ歌が書かれる、というもの。
結局、そんなことなのだが、それにしても、すごいものである。
これも、我が国、日本という国の有様のまぎれもない
中心的な部分の一つである、ということ。
天皇は、万世一系(ばんせいっけい)などといわれたが、
実際の系統はともかくも、いわゆる王朝としては、
1600〜700年前の、占いで政治をしていた頃から、
継続している。
(実際の権力は、ご存知の通り、貴族、武士、など、
別の組織や集団に移っても、滅ぼされる、ということはなく、
やっぱりそれぞれの上には、形式上とはいえ、
それらを総(すべる)ものとして天皇は常に存在してきた。)
現代でもその儀礼、習俗は国家行事として、
盛大に行なわれるし、国民もやっぱり、それを祝う。
戦後、人間天皇となって、60年以上経つが、
やはり、米を食う、日本人の長である。
また、国民はそれに関して、関心も持ち、
是認、いや、積極的に支持しているといってよかろう。
愛子様が生まれて、女性が皇位につくことを是とするかどうか、
国民的な議論になったのも、最近のことである。
日本国憲法にはご存知の通り『日本国の象徴及び国民統合の象徴であり』、
とあるが、我々にとって心情的にもある種のアイデンティティーで
あることは間違いない。
あらためて、日本という国は、今述べてきた、
古代から継続する文化を持ち続け、21世紀である現代にあり、
おそらくこれからも持っていくのだろうと、考えたのであった。
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