断腸亭料理日記2008
9月24日(水)夜
休み明け。
今日から、二泊三日の出張。
水曜の午後、名古屋。夕方京都へ移動し、この日は京都泊。
木曜は大阪から京都へ移動しながら、一日。
金曜は朝イチから福岡のため、大阪泊で伊丹空港から飛行機で
福岡へ、という予定を立てた。
名古屋で夕方仕事を終え、新幹線に乗り、京都駅へ。
泊まるところは、祇園にあるビジネスホテルをとった。
どうも今年は、京都づいている。
45年生きてきて、学生の頃は修学旅行程度。
就職後も、京都へは数回は仕事できてはいるが、
それとて、来ただけでなにか見たり食べたりはしてこなかった。
正直にいうと、東京人として、関西はあまり近付きたくないところ、
という意識を持って育った。
まあ、平たくいうと、関西(人)嫌い、で、ある。
私だけではなく、東京に限らず、北海道人の家の内儀(かみ)さんなども
そうだが、東日本の人間は、多かれ少なかれ、ベースは関西嫌いという
感覚はあるだろう。(ただし、これは、成人し、関西出身の友人など
できるので、ある程度は変わっていくものでもあるが。)
そして、京都について、もう少し理屈を付けると、
大阪などと比べても歴史の厚みが厚く、
どうせ行くのなら、その街を、ちゃんと理解したいという
私の性向からすると、あまりにも恐れ多いというのか、
山が高すぎる。30代の頃は、その前に、もっと自分の足元、
江戸・東京を理解しなくてはいけない、と
いうような考えがあった。(まあ、それが落語を演ずるということ
であったわけだが。)
ともあれ、きっかけは一昨年。
仕事関係で先斗町の小料理割烹のようなところへ
連れてこられ、なんだ、いいところじゃないか、
という感覚を持つようになった。
そして、今年に入り、5月、たまたまの出張で少し探検してみたら、
かなり、おもしろかった、という経緯。
まあ、それにしても、近年になく、京都に縁があることは
間違いなかろう。
(強引に京都出張を作っているわけではない。念のため。)
ともあれ。
私の場合、仕事の予定もさることながら、当然ながら、
夜なにを食べるのか、と、いうのが、出張の予定を決める際の
重大なポイントである。
祇園にしたのは、祇園でおもしろそうな“江戸前”鮨の店を
みつけたということ。
5時半、京都駅から、地下鉄で四条烏丸。
阪急に乗り換え、河原町までひと駅乗り、降りて、ここからは歩き。
四条通(※)を東に、四条大橋を渡って、祇園。
河原町あたりはこの時間、人が多いが、祇園に入ると、人波は減る。
紅葉にはまだ間があるウイークデーの祇園の宵。
観光客のような者もまだ少ない、の、かもしれない。
祇園はこの夏、ちょうど、祇園祭のさなかに初めて歩いた。
今回、祇園に泊ってみようと思ったのは、祇園の夜を歩いてみよう
と、いうのもあったのである。
鮨やの予約は、19:30。
かなりの人気店のようで、TELをしたのは昨日の昼前、
移動中に携帯から。
こちらはなん時でもよかったので、19:30はいかがでしょうか、
との、向こうからの申し出にOKをした。
ホテルに着き、一休み。
鮨やの場所は、ホテルのすぐそば。
私は、祇園という街を全く知らない。
先斗町同様に、昔からの花街というのを、知識として
知っている程度。
お茶屋、料理や、置屋など、現在、どういう仕組みで、芸子さん
舞妓さんと、遊ぶ、のか、というようなことも、具体的には、知らない。
(今まで機会がなかった、というのもあるし、まあ、今も、
あまり興味はないということでもある。むろん、金もないが。)
ホテルは四条通に面した、南側。
八坂神社に程近い、一階にスターバックスがあるところ。
このスターバックスには、先日の祇園祭の暑いさなか、涼みに寄っていた。
四条通をこちらへ歩いてくる途中、南側に高い黒板塀の大きな一廓を占めた
建物が南側にあるのが目に入っていた。
そこには、一力茶屋という看板があるので、
ははあ、これがお茶屋、というのものかと、気が付いた。
ホテルの窓は西向きで、眼下に、その一力茶屋が見える。
それから、その裏にも細い路地が走り、びっしりと軒の低い、
黒い瓦屋根の日本家屋が建ち並んでいる。
これからいく、鮨やもその中にあるのだが、この全体が、
祇園のお茶屋さん(なるもの?)が、立ち並ぶ区域、なのか。
(ちなみに、京都市の中でも
このあたり、伝統的建造物群保存地区になっており、
家の高さやら、造り、色、などなど詳細な制限がある
地域の一つであるのは、ご存じの通り。
一本通りを渡ると、雑居ビルになり、クラブ入っている、というのも
祇園周辺の現状のようである。)
10分前にホテルを出て、路地を歩く。
もう暗くなり、それら日本家屋にも明かりが入っている。
提灯には、○○お茶屋、など、名前が入っており、
やはり、お茶屋、なのか、というのがわかる。
この写真は帰り道、で、あるが、7時半でも人通りは
ほとんどない、といってよいほど静か。
これは落ち着いている、といった方がよいのであろう。
しばらく歩くと、目当ての鮨や、まつもと、は、
事前に調べた場所と違っているような気もしたが、すぐに見つかった。
静かな街並みの中に、そうした小さなお茶屋の建物を
改造したのであろう、白い麻の暖簾が掛っている。
暖簾の真ん中に、小さく墨文字で、鮨。
門口の右側の小さな軒行燈に、まつもと、と、あり、
店名を確認できた。
白木の格子戸。
これを開けるのは、やはり、緊張する。
開けて入ると、中は新しく、明るい。
もう一つ、ガラスの戸があり、
こちらの名前を、出迎えた若い衆にいって、入る。
店の奥に向かって低めのカウンターがあり、
右側にテーブル席が二つほどか。
さほど広くはない。
カウンターの向こう側には、二人。
先客は二組。
その真ん中に案内される。
正面で、笑顔で迎えてくれた方。この方が、ご主人だろうか。
そうとうに若い。
まあ、どう見ても、30代であろう。
だが。なかなか、ピリッとした雰囲気。
両側の先客は、というと。
右側が、男2に、女1。
薄い黄色の着物姿に日本髪の若い女性。
一目瞭然、芸子さんで、あろう。
左側は、男1に、女1。
こちらも若い女性で、青いドレス。
彼女はクラブ、で、あろうか。
はは〜〜。
やっぱり、花街。
ご出勤前(後?)の同伴、であろう。
場所柄、そんな客筋、でも、あるのだろう。
いずこも同じ、秋の夕暮れ、か。
(どうでもいいが、彼らの話を横で聞いているのは
かなりくだらないことである。)
そんな中で、一人で、真中に座るのは、なんとなく、
場違いな、感じもする。
しかし、折角きたのである。
落ち着いて、鮨に集中しよう。
(そんなこんなで、雰囲気を鑑み、今日は、鮨の写真は、なし、です。)
呑みものは?というので、やっぱり、ビール。
サッポロ黒ラベルの小瓶が出てきた。めずらしい。
なにか、すこし、切りますか?
はい。と、頼む。
気が付いたのだが、このご主人、“江戸前”という看板を
揚げているがいるが、言葉が東京のもの。
東京で修業をされ、少なくとも東日本の方であろう。
最初は、ぐちと鯛の刺身です、と、いって出てきた。
ぐちは、ご存じの通り、東京でいう、甘鯛。
皮が炙られている。
鯛も同様だが、厚めの一口に切られている。
塩、で、食う。
ぐじを刺身で食うのは、初めて、ではなかろうか。
やはり、炙った皮がうまい。
もう一つ、気が付くのは、鯛も同様なのだが、
刺身の表面の水分が少ない、こと。
普通、東京でもどこでも(先日の富山、仙台も)、鮨やでは
表面の水気は多く、まあ、みずみずしている、といってよいだろう。
しかし、ここのは、むろん乾いている、というのでは
ないが、ねっとり。
白身のあまみとうまみを味わうには、この状態が最適、
という意図なのではないかと思う。
これですぐに思い出したのだが、浅草駒形の松波。
そして、同じく観音裏の一新
この二軒も、同じような仕事の仕方をしていたように思う。
一般的な鮨やの仕方とは、明らかに違うので、
むろん意図してやっている、のであろう。
(逆にいうと、一般の鮨職人は、特にそういう意図を
持って仕事をしていない、ということでもあろう。)
例えば、松波、一新は、握りにする種(たね)を、
あらかじめ、笊に並べ、置いておく。
(種にもよるのであろうが。)
これは、冷蔵庫から出しですぐの温度で握るよりも、
一度、常温に馴染ませた方が、うまいから、ということ。
魚の目利きから始まり、下拵え、握り、客の口に入るまで。
これら、一連の作業を、温度、水分等を含めて、
繊細にコントロールしている。
口に入った瞬間に最もうまい状態で鮨を握る、ということを
相当に、突き詰めているのである。
まあ、この系統の鮨やは、そうは多くはない。
私が知っているのは、前記、二店。
(いったことはないが、「すきやばし次郎」小野二郎氏は
その代表なのであろう。)
毎度のことだが、少しの余談、お許し願いたい。
今回、この、まつもとで、やはり、『鮨』というものは、
そこに行きつく、と考えたので、書いておきたい。
ここまでの配慮をしている職人と、そうでない職人と、
どちらを評価するのか、といえば、私は前者、で、ある。
ネタの希少性、高価さ、あるいは見た目の豪華さ、といったものは、
いわば、金で解決できるもので、職人の腕、ではない。
前に、現在の江戸前鮨、握り鮨、は発展途上であると、書いた。
江戸前鮨は、冷蔵設備や流通が整わない中で、発展し、完成された。
そして、煮たり〆たりする、いわゆる“仕事をした”江戸前は
昭和30年代に終わった。
そこから始まった、生魚を握る鮨は、まだ、たかだか40年。
その中で、金で解決するだけではなく、職人は繊細な工夫を重ねて、
初めて職人たるべきもの。そうではあるまいか。
(まあ、すべての職人がそれができるかといえば、店の経営やら、
いろいろと、諸事情、あるであろう。
個人的には、むろんどちらも認めるし、客とすれば、
時と場合で、使い分ければよい。
ただし、同じ鮨やでも、たとえばそれらが
同じような値段を取っていればなおさら、
両者の間には、職人として大きな差がある、と思うのである。)
ここのご主人はお若いが、そういう系統で修行をされた、
のかもしれない。
といったところで、だいぶ長くなってしまった。
今日はここまで。続きは明日。
※京都なので、今回も、「り」をおくらず。
鮨 まつもと
京都市東山区祇園町南側570-123
075-531-2031
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