断腸亭料理日記2007
4月21日(土)夜
さて、夜。
内儀(かみ)さんの希望で、観音裏の鮨屋、一新へいく。
予約は、19時。
外出していた内儀さんの帰宅を待って、
18:45、出て、タクシーで向かう。
言問い通りから、5656(ゴロゴロ)会館の脇、柳通りを入る。
このあたりの昔。
今まで、丁寧に、触れたことがなかった。
今日は少し、詳しくみてみたい。
明治の地図
いつもは、江戸の地図であるが、今日は明治にしてみた。
言問い通りの北側、馬道と、千束通りの間、で、ある。
江戸の頃のこのあたりは、一部、大名の下屋敷や寺などあり、
それ以外は、田んぼ(と、いうことになっていた)。
ただし、馬道通りの東側、今の浅草六丁目の東側、旧猿若町には、
水野忠邦の天保の改革(1841年)以降、歌舞伎の江戸三座が
移され、芝居町として栄えていた。
明治になり、田んぼであった千束通り付近にも、その関係で
初代市川猿之助が住んだことでも有名だが、家が建ち始め、
急速に市街地化していったようである。
(千束通りの横町には、猿之助横町という名前も残っている。)
なんの裏付け史料もなく、筆者の私見である。
江戸の末、目と鼻の先の猿若町が栄えていたのに、
このあたりは、田んぼであったのは、あえて、田んぼしておいた、
ということではなかろうか、と思うのである。
(火除け地、あるいは、この北の吉原との間に、
距離を作っておきたかった、からか。)
猿若町からは明治になると、いわゆる江戸三座は移転していった。
しかし、上の地図にもあるが、今の柳通り、
浅草見番と隣の料亭「婦志多」の場所に、
明治29年に歌舞伎の小劇場「宮戸座」ができてもおり
依然として、芝居町としての雰囲気は続いていたのであろう。
そして、例によって、成立は詳細にはわからないのであるが、
この界隈は、花街、で、ある。
浅草花柳界には「料理店49軒、待合茶屋250軒、
芸妓1,060名」(大正末。上記「浅草花柳界」ページ)
という数字も残っている。
この「浅草花柳界」のページにも書かれているが、
もとは、公園芸者、といわれており、場所はこの観音裏ではなく、
「公園」六区あたりということなのであろう。
一方、明治から大正にかけてのこのあたりといえば、
銘酒屋、という業態が多くあった。
例の研究書『花街』(加藤政洋氏・朝日新聞)
や、その他の文献、永井荷風先生の小説や日記、などにも出てくるが、
この頃、六区興行街の裏からその北側(今のひさご通り)、
震災まで、凌雲閣、いわゆる「十二階」のあるあたり、
さらに、千束町へかけては、魔窟、などとも呼ばれていた、らしい。
これが、銘酒屋、というものである。
銘酒屋は、むろん、非合法であったのであろうが
飲食は名目で、酌婦を置き、二階で客の相手をする、というもの
であったようである。
この界隈以外でも、荷風先生の「墨東綺譚」で有名な玉の井、
樋口一葉先生の「にごりえ」で有名な白山(丸山福山町)なども、
銘酒屋のあったところのようである。
(脱線するが銘酒屋とは、実際にどんなものであったのだろうか。
「墨東綺譚」「にごりえ」ともに映画になっている。
今井正監督の映画「にごりえ」は樋口一葉の「十三夜」「大つごもり」
「にごりえ」を原作に、オムニバス形式で作られたものであるが、
これに出てくる、銘酒屋が、いかにも、それらしい。
モノクロで撮影され、いかにもその当時のうらぶれた感じを
再現しているように思え、「墨東綺譚」の銘酒屋はともかく、
筆者など、銘酒屋といえば、この今村正監督の「にごりえ」に
出てくるものを思い出すのである。
この今村正監督「にごりえ」は、CSの日本映画専門チャンネルで、
近々やるようだが、DVDにもなっているようなので、
ご興味のある方にはお勧めしたい。)
ともあれ。
問題は、時代的に、近いと思われる、
十二階下の銘酒屋と、公園芸者との関係である。
浅草花柳界が、いわゆる、三業地として、許可された浅草組合として
成立している、というのは、銘酒屋とはある程度一線を画していた、
のか、、あるいは、銘酒屋の一部が、公許を得て、浅草組合となった、
のか、という疑問である。
また、江戸からの猿若町には芝居町としての芝居茶屋という業態があった。
ここにも、いわゆる芸者さんはいたようである。
また、先の宮戸座のように明治になっても、
芝居町としての色彩もこの界隈には
依然として存在し芝居茶屋もあったのであろう。
判然とはしないが、またまた、私見である。
おそらく、魔窟、の銘酒屋などもまったく無関係ではなく、
芝居茶屋などに起源を持つ置屋なども渾然と合わせながら、
明治後期までに、浅草花柳界を形成していったのでは
なかろうか。そう考えるのが自然であろう。
(その後、「公園」から、今の観音裏へ移っていったようである。)
さて、気になるのは、魔窟のその後、で、ある。
現在、六区の裏路地や、国際通りを渡った、西浅草、そばの、おざわ
のそばにある、ラブホテルや、“もう一つ”の業態。
このあたりに、続いているのではないか、、
と、いうのが、筆者の仮説、で、ある。
もう一つ、このあたりで書いておきたいこと。
「象潟」、で、ある。
これを、読める方はおられるであろうか。
もちろん、浅草地元の方であれば読めるであろう。
「キサカタ」、と、読む。
むろん、台東区のこと、今でも象潟町会はある。
由来は、幕末にこのあたりに大名屋敷、六郷政鑑
(秋田、羽後本庄二万石)の下屋敷があった。
象潟は、今、秋田県の南部に、にかほ市象潟町というところがあるが、
ここから取られているという。
象潟は、当時、その本庄(荘)藩で、秋田の松島、
と、呼ばれるような、海岸の美しい景勝地であったそうである。
今、浅間神社(お富士さん)のそばに、浅草警察署があるが、
この警察署は、以前は、象潟署、と、呼ばれていた。
だいぶ長くなった。
一新、に、たどり着かなかったが、今日はひとまず、このへんで。
東京都台東区浅草4丁目11-3
0066-967-98349(予約専用、通話料無料)
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